nidaが最も大切にしていること
01セルフケア
わたしたちには誰しも
本来のより大きな〈わたし〉,自由で至福に満ちた本来の〈わたし〉を思い出し,
それを生きる道を選択できる可能性が備わっています。
その道こそがヨガ。
生きることそのもののヨガーyoga of living
ヨガスタジオではふつう,いろんなアーサナ(ポーズ)を練習しますね。
身体を動かして,あ〜気持ちよかった!って。
それって本当にヨガなんでしょうか?
先生に言われた通りに,みんなと同じように身体を動かしていたら
「本来のより大きな〈わたし〉,自由で至福に満ちた本来の〈わたし〉を思い出し,それを生きる道」が拓けるのでしょうか?
しかもその動きって,本当にその瞬間のあなたにとってベストのものなのでしょうか?
一人ひとりbody(身体)もmind(精神)もspirit(魂)も違うのに?
それなのに,なぜみんなで一様にそのアーサナ=「型」を練習するんでしょう?
わたしたちはこの社会の中で育てられ,生きていく中で
body – mind – spiritのすべてがすでにもう無数の「型」にはめこまれ,抑えられているのに
その上さらにみんなで「このアーサナをしましょう」「この教えを守りましょう」って…
それって本当に「自由で至福に満ちた本来の〈わたし〉を思い出す」道なのでしょうか?
そしてそもそも,それって本当にあなた自身のためのセルフケアなんでしょうか?
身体は本来,とても賢く神聖で,内側からあらゆるメッセージをわたしたちに伝えてくれています。
それならば,思い通りに身体をコントロールしようとするよりも
むしろ,自ずと起こる身体の動きを受け入れる方がセルフケアなのでは?
身体を動かすのではなく,自ずと動く身体に還って行く道こそヨガなのでは?
身体の動きや思考の「型」を増やすよりも
むしろ,わたしたちに無意識に絡まり生きにくくしているさまざまな「型」に気づいて
本当はいつだって毎瞬そこにある無数の選択肢を見渡し
自らの選択でそこからすっと出て行くことが
真のセルフケアであり,それこそがヨガなのでは?
わたしの先生Emily Kuserは
Body – mind – spirit ―そのすべてにおけるセルフケアにおいて大切なのは次の3要素だと述べています。
- love(愛)
- safety(安心・安全)
- belonging(所属)
あなた自身のbody – mind – spiritへの愛なくしてセルフケアなんてありえません。
逆に言えば,自らに愛と敬意をもって臨むことこそセルフケアです。
そのとき,癒しは自ずとあなたの中から起こります。
また,愛を育むためには,恐れや緊張のない,安心・安全なスペースが不可欠です。
自分が否定される場,心身の安全に不安を感じる場においては誰もが萎縮し
自分の内側をそのまま受け入れることはできません。
まずは安心してリラックスしていられることこそがセルフケアです。
そのとき,癒しは自ずとあなたの中から起こります。
そして,安心・安全を感じるためには,
自分が所属していること,つまり真に自分は独りではないということを知る必要があります。
「わたしははじめから受け入れられている」ということを真に理解し
互いに受け入れられているコミュニティの存在を感じていられることこそセルフケアです。
そのとき,癒しは自ずとあなたの中から起こります。
nidaはあなたのbody – mind – spiritのすべてにおける深いセルフケアと癒しの場です。
だから,ここでは誰もが深く呼吸し,動き,触れ,感じ,考え,歌い,語り,聴き合います。
そこに,自己探究の地平が広がります。
真に自分は独りではないことを知ること― それはまさに自己探究です。
そして,自己探究の旅には,ともにサポートし合う仲間―コミュニティが必要なのです。
02自己探究
「わたしは一体何者なんだろう?」
「わたしは一体何のために生きているんだろう?」
「この人生の中で何をなすべきなんだろう?」
―これらは,誰もが考える,人間としての「根本的なテーマ」ではないかと思います。
楽しい時はそんなの別に考えなくても,スルーできるからいいんですけどね。
でも,苦しいときにはそうはいかない。
その苦しみによってわたしたちは幾度となくこの「根本的なテーマ」に直面させられるのです。
そして,また何となく事態が好転してはとりあえずやり過ごしていると…
もちろんいつまで経っても同じことのくり返し。
つまり,これらの「根本的なテーマ」を避け続けていると
人間関係でも仕事でも,この「未処理の課題」が,人生の中で幾度となく形を変えてやってくるたびに
わたしたちは苦しみを味わうことになるわけです。
ということは,逆に言えば
「根本的なテーマ」に向き合うと,すなわち自己探究を深めて行くと
自ずと「未処理の課題」が何なのか,それをどう扱えばいいのか,も観えてくる,ということです。
この「根本的なテーマ」に対して,ヨガは明らかな答えをずっと提示し続けています。
それは…
「「個」としてのあなただけが,本当の〈あなた〉ではないよ」
ということ。
自己探究とは,
その「本来のより大きな〈わたし〉,自由で至福に満ちた本来の〈わたし〉を思い出す」ことです。
そして,ヨガとは
それを頭で理解するんじゃなく,body – mind – spiritのすべてにおいて体感・納得しながら
実際に,その本来の〈わたし〉を生きる道。
それは必然,もっと楽に,自由に,幸せに生きられる道。
「根本的なテーマ」に取り組むこと=自己探究って
あらゆる人にとって人生の「土台」になることだと思うのです。
言い換えれば,ヨガは
どんな宗教があってもなくても学べる
すべての人に開かれていて,日常ですぐに使える超実践的な人生の「土台」作り。
そして,好奇心をもって臨めば,自己探究は非常に楽しく
気がつけばいつの間にか
生きるのはより楽に,自由に,幸せに満ちたものになっているのです。
03コミュニティ
ただ,「根本的なテーマ」と向き合う自己探究をがんばって自分一人でやろうとすると…
「もっとこうなるべきなんだ!もっとがんばらなくちゃ」 …で疲労
「はあ…わたしってやっぱりダメだなあ」 …で自己嫌悪
「自分を見つめるための時間を確保したいのに」 …で責任転嫁
…等々,往々にして自滅的な結末になることが多い―という体験はありませんか?
わたしにはかつて多々ありました(笑)
そして,だからこそ
よくわからなくてもなぜかとても信頼できる何か・誰かに導かれて
一緒に居て居心地のよい仲間とともに取り組めばいいのではないかと思うのです。
そう,信頼できるガイドとその背景にある深く揺らぎのない哲学,
そして仲間が集まるコミュニティーすなわちkula(サンスクリット語:クラ)の存在がとても重要なのです。
nidaはそのkulaが集う「巣=nida(サンスクリット語:ニーダ)」です。
互いに素直に語り,聴き合うことのできるkula
否定やジャッジなしに,ただ互いの存在をそのまま受け入れ合うkula
そのkulaの力は絶大です。
おそらく,あなたが想像する以上に。
同じように生きづらさを感じていたり,自由を求めていたり…
ご縁あってnidaに集い,そこに同じように居心地のよさと希望とを見出す仲間とともに
素晴らしい先人たちの智慧に導かれて
パワフルで深遠なセルフケアと自己探究のヨガの旅へと出かけましょう!