あなたもわたし(nida’s newsletter- no.-29より)
*こちらの記事は 2017.08.04配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.29-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。
わたし,最近,ある人のことを,傲慢だなーって感じることがありました。
多分本人はあまり気づいてないだろうな…と感じて,
最初はあんまりうまく伝えられなかったのですが,
その後はっきりお伝えしました。
皆さんも,誰かのある部分が気になることってありませんか。
それは別に「イヤな」点だけではなくて。
例えば,
あーいいなー,うらやましいなー,って思う点とかも。
でも,なんでそこが気になるんでしょうね?
その人の全体の中で一体なぜそこが気になるのか?
それってすごく重要なポイントだと思うんです!
基本的に,わたしたちの意識が向くところというのは,
それが,わたし自身の鏡となって,何かを映しているのだと思います。
逆説的なようですが,だからこそ,そこに意識が向くんだろうと思うんです。
例えば道を歩いていたとして。
いつもと同じ道です。
いつもは右側にあるお店に意識が向くのに,
ある日,なぜか急に左側にあるお店に目がとまる。
そういうことってありませんか?
別に新しくできたわけではありません。
変わったのは自分の意識だけです。
本人は意識していないかもしれないけれど。
そして,そのお店を初めて認識するわけです。
つまり,わたしたちは,視界に「見えている」あらゆるものの中から,
自分の意識を向けたものだけを「見ている」んですよね。
その他のものは,物理的に存在していたとしても
わたしの中では存在しないも同然。
つまり,わたしたちが気にすることというのは,
そこに自身の意識が向いているということ。
それはいわば自身の意識を映し出す鏡なんですね。
わたし自身の例に戻ると…
気になった相手の傲慢さは,わたし自身の意識の鏡です。
だったらそれは,
わたし自身の傲慢さを映し出しているに過ぎないんじゃないか?
これねー,自分で言うのも何ですけど,認めるの,痛いですよ(笑)
先ほど
相手のいいなぁ,うらやましいなぁと思う点が気になる
という例も挙げましたけど,
それについてね,たまたまある生徒さんが,
クラスの後にこうおっしゃったんですよ。
「でも,それって実は,
わたしもやりたいけど,わたしは我慢しているのにーー!
この人はそれを自由にやっている!
ということなんですよねー」と。
素直にそう認められるって,実はすごいことだと思いませんか??
わたしはすぐにそうは感じられなくて,
かなり時間が経ってからやっと,同じように
相手の傲慢さが気になったということは
わたし自身の傲慢についてのサインなのかな…
と思いました。
そうなんですよね,
何かが気になったとき,
その相手に現れているものは,本当はわたし自身の問題なんですよね。
谷田先生がいつもおっしゃっている通り。
あとは,相手を自分とは別の「対象」として分離して
「あーやだなー」とか「うらやましいなぁ」で終わるか。
あるいは,
ハラを決めて
その問題を「わたしの問題だ」として受け取れるかどうか。
そこで道が大きく分かれる!
「相手の問題」と, 切り離して考える方が楽です(笑)
「相手も自分」って思ったら,
自分の嫌なところ,見たくないところを受け入れざるをえなくなりますから
だって,相手のそれが気になる,わかるということは
そもそも,自分の中で同じ要素があるからですもんね。
まったくわからないものには
私たちは気づけない,意識を向けようがないのですから。
だから,
相手の気になった点は,私自身とぴったり重なるところだ…
と捉えて,
ハラを,覚悟を決めてそれと向き合えるかどうか。
それをいつも問われるんだろうと思うんです。
今回の傲慢さについて言えば,
わたし自身問われたのはまさに
今までお話ししてきたことそのものなんじゃないか,
と感じています。
わたしは,学校の先生を11年した後,今はヨガの先生をしています。
いずれも「先生」。
人様に地理なりヨガなりをお伝えする立場です。
その時に,「上から」という感覚ではなくても,
相手を「対象」として分離して
「わたしとは別の人間だ」と思ってお伝えするということを
ずっとやってきました。
ああ,そうですね,
やっぱり私は傲慢です(苦笑)
もちろん,実際,その人の人生はその人のもの。
わたしには生きられない。
それはとても重要な点です。
それについては,何の意見の変更もありません。
ただ,その人に向き合うときに,
「あなたはわたしとは違う人ですから」という姿勢ではなくて,
「あなたもわたし」という姿勢で,
「他人事」ではなく「わたし事」として向き合うこと。
「yukariさん,あなた,
ヨガティーチャーとして,一人の人間として,
そんだけハラを決めて生きてるの?」
とでも問われているような気がしたんです…
あなたの苦しさは,わたし自身の苦しさでもあります。
そして,逆にもしわたしがこうやってシェアしていることの何かが
あなたに響くのならば,
それはあなたの中に
わたしと同じものがあるということでもあります。
わたしとあなたは,それぞれの身体を持った別の人間です。
でも,意識はそれを超えて,「あなたもわたし」と思うことができる。
このことを,わたしは,谷田先生から体感として学んでいます。
そして,これは,まさに瞑想の中でも行っていること。
つまり,ヨガ哲学が示す真実の方向も同じだと感じています。
「すべてはひとつ」
本当の意味でそれを受け入れていくためには,わたしたちの覚悟が試されます。
が,同時に,
苦しみや痛みを超えたとてつもなく穏やかな平安が
いつもここでわたしを待ち受けている。
そう先人たちがくり返し示してくれている通りだと,
わたしは心底信じています。
まあ,毎日,ハラを試される試練の連続ですけどね(笑)
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こちらの記事は毎週金曜配信のnida’s newsletter ~ living in the moment ~より一部抜粋です。
記事全文はnidaのnewsletterのみで掲載されています。
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