「いつも変わらない何か」を 〜newsletter no.261より

*こちらの記事は 2022.10.22配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.261-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。
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いやぁ,八ヶ岳はやっぱりいい!!!

実は,八ヶ岳に登ったのは,今年2月以来だったんじゃないかと思うんですよ。

久々にお訪ねしてみて,改めて感じました。

何だかわかんないけど,わたしはやっぱりここがすごく好きだなあ,と。

先月から今月にかけてひたすら北アルプス登山に通ってはいるのですが,

八ヶ岳に行ったら,何だかおうちに帰ってきたような感覚さえ覚え,

ここはやっぱりわたしにとっては何か特別なんだろうなあ,と再認識しました。

そんな八ヶ岳で行う今年3年目のリトリートもいよいよ再来週に迫りましたから,

八ヶ岳の主峰 赤岳さんにお詣りして,祝福をお願いしてきました☆

(ちなみに,その前夜(「黒キン」の最終日ですね),白樺湖に宿泊したので,

半年ぶりにあの方にもお会いして,ごはんもいただいてきましたよ ^ ^

リトリートでみなさんにお会いできるのもとっても楽しみにされていました~)


さて,先週のnewsletterでお伝えした通り,今年の八ヶ岳リトリートは例年よりも規模を縮小して行うことになりました。

3年目ですから,どうなんでしょう,みなさんから見たら「マンネリ」っぽいんでしょうかね?

でもな~,主催者当人からすると,それが全然なくてですね~(笑)

(これがビジネスセンスの無さなんでしょうか?(笑))

毎年新しいネタを入れたり,メンバーが変わったりということももちろんありますけれど,

うーん,何て言えばいいんでしょうか,究極的にはそれも関係ないっていうか…(笑)

基本的には,新しいもの,変化するものがウケるのは世の常であり,

いわば,そうやって変化に対応して大多数のニーズに応えるものだけが市場に残っていくのがビジネスですよね。

わたし自身も「生業」としてヨガスタジオをやっている以上,この仕組みからはもちろん完全に逃れることはできません。

とはいえ,一方で,わたしがここで提供しているものは,

伝え方・提示の仕方は変化していくけれど,本質的には決して変わることのないもの

なんじゃないかなーと理解しています。

だから,「目新しい」ものを次々に打ち出して売り出すつもりがそもそもあまりない…(笑)


あー,そうそう,あるスワミがこう書いておられましたのを思い出しました↓

「今ここに来ている人たちも,もう何か月もこのクラスに通ってくるが,毎回似たり寄ったりだ。

でもみんな,飽きもせず,来るたびにいくらかの寄付を置いていく。

家にいたって同じことができるのに,それでもみんなここへ来る。

それは,ここではビジネスのヴァイブレーションではなくヨーガのヴァイブレーションを感じることができるからだ。

それこそみんなが逃すまいとしているものなのだ。

私の講義にしたところで,私はそれほどたくさんの聖典の話をしたり,「いつも新しい何かを」と心がけているわけではない。

たぶん,私の今までの話のテープを聞き直してみれば,いつも同じことばかりしゃべっているだろう。

「スワミはちっとも新しいことを言わない。いつもの古ぼけたスワミが,またいつもの古ぼけた話…。

なんだって私たちは,いつもいつもここに来て,こうして座っているのかしら?」」


…なんでだと思います?


スワミは,続けてこう書いておられるんですよ↓(笑)

「それは私が楽しくて(送り仮名:ハッピー),みんなもここにいて楽しい(ハッピー)から…

そう,みんなが私を楽しくしてくれて,その私がまたみんなを楽しくする。

私たちはただここで,ささやかにハッピー・タイムを過ごす,それだけのことなのだ。

ヨーガの名のもとにちょっと何かを話したり,何かをしたりするだけ。

そうだ,秘密はそれなのだ。

一緒にいてみんな楽しい,それだけのこと…。・・・」

(スワミ・サッチダーナンダ著,伊藤久子訳『インテグラル・ヨーガ』p.60-61)


わたしはこんな偉大な「スワミ」でもないし,nidaは寄付制のアシュラムでもありません。

でも,バリバリのビジネスという感じでもないんじゃないかな。

どっちかじゃなく,どっちでもなく,どっちでもあるような,

そんな曖昧な,ちょっと不思議な場で在れたらいいんじゃないかと,わたし自身は思っています。


あらゆるクラス,ワークショップ,そして何よりリトリートが

「ただここで,ささやかにハッピー・タイムを過ごす,それだけのこと」だったらいいと思うんです。

だから,わたし自身,別に「いつも新しい何かを」とも考えない。

言ってみれば,むしろ逆かもしれませんね ―「いつも変わらない何かを」

(でも,その伝え方や体験の手段は自然と「いつも新しく」なっているような。)

みなさん,お仕事とかご家族とか体調とか…変化していく諸々をいつも考えて疲労されたりしてるわけでしょう?(笑)

そして,思考が自動的に走り続けているのに任せれば

「いつも変わらない何か」になんて,時間もお金も労力も割くのは「非合理」にすら思えて来るかもしれません(笑)

「仕事が忙しいからやめておこう」「疲れているからもういいや」って。

わ~か~る~(笑)

と同時に,これはわたし自身の体験を通して実感しているのですが,

おもしろいことに,そうやって「いつも変わらない何か」から離れるほど,疲労は蓄積して行くのです(笑)

「いつも変わらない何か」が語られ,体感される場。

「ヨーガの名のもとにちょっと何かを話したり,何かをしたりするだけ」の場。

「一緒にいてみんな楽しい,それだけのこと…」な場。

たかが「それだけのこと」が,いかにパワフルでヒーリングか… 

家族でもない「他人」と一緒なのに,家にいるよりも一人になれると同時に安心もできるということがいかに希少なことか…

わたし自身は自分の実体験を通じてその価値を痛感しているからこそ,

こんな「古ぼけた」ことをnidaで提供し続けているのではないかと思います。

そして,わたし自身もアシュラムに通い続けているのだと思います。

(この2年半は海外に出られていませんが… その代わりに山々がわたしにとってアシュラムのように感じています。)

もちろん,リトリートだけではなく,クラス・WSも全て同じこと。

nidaでも八ヶ岳でも,

「一緒にいてみんな楽しい,それだけ」の「ささやかなハッピー・タイム」へどうぞご一緒に!


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先日,大切な友人の一人から,何か月も心身の調子がよくなく,心療内科に受診したとメッセージがありました。

ヨガに長く親しんでいる友人な分,わたしも正直ちょっとショックを感じる一方で,

彼女がもう長いこと「いつも変わらない何か」にじんわりと触れる機会を持てないでいることを知っているので,

それは大きいだろうな…と内心改めて感じました。

お仕事も家庭も一旦横に置いて,クラスやリトリートに身を浸してみてもらえたらなあ…

薬を飲み始める前に,まず「いつも変わらない何か」にフォーカスする時間を持ってくれたらなあ…とも。

別に,わたしが彼女に対して何かをできるわけじゃないですよ。

でも,ただ「ヨーガの名のもとにちょっと何かを話したり,何かをしたりするだけ」でいいと思うんです。

「いつも変わらない何か」にいつもより触れられたなら,それだけでヒーリングは勝手に起きるのですから。