ただ観る (newsletter- no.41-より)
*こちらの記事は 2017.10.27配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.41-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。
わたしたちには日々いろいろなことが否応なく起きて,
いろんな感情がやって来ます。
嬉しいこと・感情はまだいいのですが,
そうじゃないことや感情がやって来るとき,一体どうするのか。
これって,絶え間なく試され続けることだと思うんですよね。
では,あなたが今までやって来た中で,最も効果的な手段は何ですか?
今,あなた自身は,どんな手で難しい状況を乗り切っていますか?
それぞれにいろんな手立てがあっていいと思います。
こう言う視点で振り返ってみれば,わたし自身もまさに
そのためのより効果的な手立てを
試行錯誤し続けているということになるんだろうなあという気がします。
その中で,わたし自身が,「いま現在」の時点で
これが最も効果的なんじゃないかなあ?と感じているのは…
ただ観る
ことです。
谷田先生もいつもこの表現を使われていますね。
わたしは,この手段をヨガから授かり,その恩恵にあずかり続け,
最近ますますその力を実感しています。
これ,目で「見る」のとはもちろん違います。
「観察」の「観」の字の「観る」。
例えば,アリの動き一つとっても,いろんなふうにみられると思うんですね。
「はあ~~~アリがこんなにウロウロしてる。嫌だなあ」
「体よりも大きいものを運んでる!アリさん頑張れ~~!」
「アリは体より大きい○○を持って,いつもこのルートで□□へ向かってる。」
「観察」から出て来るのは,もちろん,最後のコメントですね。
一番目と二番目は,一見感情の方向性が違うように見えますが,
いずれも感情の中に巻き込まれている点では変わりがありません。
ちなみに,誤解のないように強調しておきますが,
感情がいいとか悪いとか,そういう話ではまったくありません!
感情も思考も自然に内側で起きるもので,
それ自体に良し悪しはないとわたしは思っています。
むしろ,感情もまたすばらしいcreativityのあらわれだと観じています。
(また,ここでは文字だけで表現していますので,単純にこう書いていますが,
実際には言葉としてはこのような表現を使っていても,
内側の状態としてはまったく感情に巻き込まれてはいない,
ということも,もちろんあり得ます。)
ただ,ここで示したいのは,シンプルに,
わたしが「観る」というときに最も重要なポイントは
「対象との間に一定のスペースを保って」という点だと思います,ということ。
出来事も,ものも,他者も,
自分の感情も,思考も,感覚も,
一定のスペースを空けて,思考や感情に巻き込まれずに「ただ観る」ことです。
苦しい感情がやって来たとき,それに対して何かをしようとするのではなくて
何もしないで「ただ観る」んです。
わたしたちは,とかく「どうしたらいいか」を知りたがかったり
やりたがったりする傾向がある気がするのですが,
その意味では「何もしない」わけです(笑)
ただ,「ああ,わたしはこんなふうに苦しいと感じているのだな」と
「観じる」だけ。
いや,本当に(笑)
例えば,こうやってある感情を「ただ観じる」瞑想などをすると…
その後には
「なんか,どうでもよくなっちゃいました」
とかおっしゃる方が多かったりするわけです(笑)
不思議なことに,「ただ観る」だけで
楽になったり,奥底に張り付いていたものが勝手に変化しちゃったり…
焦って何かしようとするよりも,
落ち着いて「ただ観る」方が効果的だったりするわけですから
ほんと,おもしろいと思いませんか?!
どうしようもなくタネも仕掛けものないシンプルな手ですが(笑),
わたし自身がヨガからいただいて実際に試して来て
今のところ,最も効果を感じているのがこの「ただ観る」ことです。
もしまだお試しでないようでしたら,だまされたと思って試してみてください。
きっと何かが勝手に変わって行きますから。
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こちらの記事は毎週金曜配信のnida’s newsletter ~ living in the moment ~より一部抜粋です。
記事全文はnidaのnewsletterのみで掲載されています。
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