オークランドより近況報告2 〜 “atma vichara”(自己の探究)
カリフォルニア州オークランドより Namaste!
いよいよこのアシュラムを発つのも明日となりました。
ここは,施設も人も食べ物も,わたしにとっては本当にすべてが居心地がよく,去りがたい限りです…
それは,ヨガ的にいえば「カルマ」ということになるんでしょうねえ。
わたしはこの伝統に,どうやら何かとても深い特別なつながりがあるようです。
だってね,いろんなヨガの先生がいて,いろんなヨガの伝統があるのに,
わたしはこれまでずっと
なぜかアヌサラヨガなんです。
なぜかその背景にあるタントラヨガ哲学なんです。
そして,その先生たちに何か特別な,家族のようなつながりを感じてきました。
そして,そのつながりをたどって,今ここにたどり着いています。
そして,当然ながら,そこに深い安心感と心地よさ,まるで,homeに帰ってきたような感覚を覚えているのです。
home,家族のようなつながり,といえば
わたし自身は,nidaに集うみなさんにもそんな感覚をを覚えています。
特に,今年に入ってからは,一層強く。
それには,なんと言ったらいいんでしょうか,
谷田先生の言葉を借りるのならば,わたし自身の「覚悟」が大きく関わっていると言えるのかもしれません。
この「覚悟」にはいろんな含意があるのですが,
わかりやすいものを一つ挙げるのならば,
ご存知の通り,わたしは昨年来,studio yoggyでのクラスをどんどん手離してきました。
帰国後からはいよいよ週1日2クラスのみに絞って,あとはすべてnidaに集約しました。
それってつまりは,
わたしは,この小さなnida=「巣」を拠点として,
nidaという場自体や,わたしがシェアしているものに共感を覚えてくださるみなさんとともに
”atma vichara”(アートマ・ヴィチャーラ)=self inquiry(自己の探究)をpractice(練習,実践)して行く,と
そういうみなさんとともに,そのためのあたたかい親密なコミュニティ=”kula”(クラ)を創って行く,と
肚が決まった,ということだろうと思うんです。
「決めた」んじゃないですよ。
そう「決まった」だけです,自ずと。
だから,
わたしに自ずとやってきて,自ずと固まって行ったその「覚悟」みたいなものに呼応するように,
それを感じ取り,そこに賛同してくださった方々が
これまで以上に親近感と安心感,信頼を持って集ってくださるようになって来たのかなあ,と。
その結果として,以前にも増してあたたかいコミュニティ=”kula”(クラ)が形成されている気がしています。
ちなみに,そのkulaは,nidaに閉じているものではありません。
nidaの先には,わたしを通じて,
ここオークランドのアシュラムも,Emilyやその他の素晴らしい先生,そしてさらにその人たちの先にあるkulaがつながっています。
わたしの主催するゲストティーチャーのワークショップなどでは,それを実際に体感していただけるのではないかなあ,と思います。
だからこそ,
nidaに集ってくださっているみなさんには,今年に入ってから特に何度も,
どうぞここでの感覚を染み込ませるために,いつでもpracticeにいらしてください,
とお話ししています。
ここでは,仕事とか年齢とか性別とか,ヨガのポーズがどれだけできるかとか(笑)どれだけ時間を共有したかとか,
そんなことはまったく関係なく,
なぜか深い話ができてしまう,とか
なぜか親密なつながりを感じてしまう,とか
なぜか安心してそのままの自分でいられる,とか
そう感じられる方が多いようです。
それは不思議でも何でもありません。
nidaに集ってpracticeするということは,他でもない,
”atma vichara”をする
ということだからです。
ですから,
深い「自己の探究」,すなわち”Who am I?”に興味がない方,今はそのタイミングではない方には,
nidaはは居心地のよくないことでしょう。
そして,それでいいんです!
なぜなら,ファシリテーターであるわたし自身が,はっきり言って,それにしか興味がないからです(笑)
そして,今回このアシュラムで過ごしながら改めて感じたことは,
わたしたちの人生において,”atma vichara”以上にやらなければならないことはないんだなぁ,
ということです。
わたしは,これは人類全体に言えることだと感じていますが
(だからこそ他の動物その他でなく,人間に生まれているのだと思うし),
とにかく,少なくともわたし自身にとってはそうです。
ええ,これが,わたしの人生における最優先事項です。
(でも,これは,前回のブログに書いた「人生において最も重要なもの」ではありません。
もちろん,それに深く繋がっているのですが,それは別。)
そして,いかに探究して行くか,にはいろんな道があります。
どの道もすてきだと思います。
でも,わたしは,この道を選ぶことになっていたようです。
先に書いたように,この伝統に関連するものや人に感じて来た,何だかよくわからん深いつながりの感覚がその証拠です。
だからこそ,わたしは,この先も何度もこの場所に戻ってくるでしょう。
そして,アメリカの他の場所やインドにあるこの伝統のアシュラムにも。
なぜなら,わたしは,そこで深い安心を感じるからです。
“atma vitchara”を深めることができ,それをともにやっていける家族のようなつながりを見いだすことができるからです。
nidaに集うみなさんが,nidaでの感覚を深めて日常にもそれを広げていらっしゃるように,
わたし自身もアシュラムでこの感覚を深めて,nidaに,わたしの人生のあらゆる場に,それを染み込ませているのです。
そして,わたしのこの感覚が,practiceが深まるほど,
nidaはより力強いshakti(シャクティ)=energy(エネルギー,力)を帯びることになるはずなのです。
(アシュラムで出会う人たちはみんな本当にすてきなshaktiを帯びています
今回ともにリトリートに参加した,わたしの左手のこのメキシコ出身の女性には,特に親近感を覚えました
同い年で,この伝統の最大の拠点であるアシュラムでスタッフをしています
だから,彼女は,まさにそこのshaktiを帯びているのです
それを,わたしはとても感じていました
わたしもいつか,そこへ行かなくてはいけないーなぜかそう感じています
一緒に写っている彼女のお母さんも,とってもすてきな人でした!)
前回,わたしはこう書きました↓
「もっと大きな視野で見たときのヨガの伝統における
まさに「中核」で学ばせてもらっている,
という感覚がしています。」
わたしが今いるのは,これまた前回書いたように,
わたしにとっては
「毎日ことあるごとに感情を超えてただ涙があふれる」「すばらしいエネルギーに満ちた神聖な場」です。
ここでのリトリート,瞑想,奉仕はもちろんのこと,ここに居ることそのものから学んでいる
「普遍的で,パワフルで,人生を決定的に豊かにするもの」を,
帰国後にますますnidaに集うみなさんにシェアしてまいります。
nidaは,常にひらかれた場です。
「自己の探究」をしようなどと意気込んでくる必要はまったくありません(笑)
いえ,むしろ,どうぞそんなことはなさらずに(笑)
そうじゃないんですよ!「しよう」としなくていいんです!!
なぜなら,たいていの場合,
「何となくピンと来た」とか「行ってみたいな」が,実は「自己の探究」につながってたことに後から気づく
っていう顛末ですからね(笑)
いやほんと,ここ,すごい大事です。
わたしもそうでしたし。
意気込んでいらっしゃると,おそらくがっかりしますよ,
わたしの「やる気のなさ」に(笑)
それではまた。
帰国後にみなさんとご一緒できるのを楽しみにしています。
オークランドより愛と感謝を込めて
yukari