ガンガーの流れのごとく
(上記写真:バラナシにて)
北インドを流れる、聖なる川 ガンジス。
ガンガーと呼ばれ,親しまれて来ました。
今回のわたしの旅では、
このガンガーの源流が流れるガンゴートリやウッタルカーシーから,
さらに、毎日多くのアシュラムで祈りが捧げられているリシュケシュ、
そして、ガンガー沿い最大の巡礼地バラナシへ。
気づけばガンガーのそばに居る時間が長かったように思います。
(標高3000mを越える、ヒマラヤ山中のガンゴートリ。この数km先には氷河。)
ガンガーは、古くからインドの人々の敬意と感謝を集めるだけでなく、その生活を支え、祈りを受け止め、まさに生死のすべてを見守ってきました。
(バラナシの朝。朝日を浴びたガンガーで沐浴をしている人の姿が多く見られます。)
人々はガンガーで洗濯をし,水浴びをし,農業をし,遊び…
リシュケシュやバラナシでは,
毎晩盛大なアラーティ(火の儀礼)が行われ,祈りが捧げ続けられています。
(リシュケシュにあるパラマス・ニケタンのアラーティ)
(パラマス・ニケタンにて)
(毎夜くり返されるバラナシのアラーティ)
さらに,バラナシのガンガー沿いにある火葬場からは煙が絶えることなく立ち上ります。
バラナシで火葬され,その遺灰をガンガーに流してもらうと,輪廻転生の環から逃れられると伝えられているからです。
(バラナシにあるガンガー沿いの火葬場)
ガンガーは文字通り,インドの人々の人生を載せて留まることなく流れ続けています。
「川の流れのように」という名曲もありますが,ガンガーを見ていると,わたしたちの人生ってまさにこの川のようなものだなあと思うのです。
だってね,一時も留まることなく,
しかも一方向にしか流れないでしょう。
それも,途中には,流れの緩やかなところも険しいところもあって。
水量の多いときもあれば少ないときもあって。
(夕暮れ時のリシュケシュ)
わたしたちの人生は,いつも過去から未来の方向へしか流れない。
ガンガーが逆流することはないように。
それなのに,わたしたちは,過去にあった出来事から心が離れられないことがあったり,
逆に,先の予定のことばかり考えていたり,未来への期待に救いを求めたり…。
わたしたちが生きられるのはイマココしかないのに,流れに逆らって戻ろうとしたり,先走って速く流されようとしたりすることってありませんか。
(リシュケシュ,シヴァナンダ・アシュラムのアラーティ)
でも,過去はかつてその一瞬に流れた地点に過ぎず,未来はこれから通過する地点に過ぎない。
気づけばすべては繋がって川をなすけれど,わたしたちが経験できるのはいつもイマココの一瞬・一点限り。
だから,振り返って過去にしがみつくのでもなく,
先走って未来に執着するのでもなく,
ただ,一瞬たりとも留まることを知らないイマココをていねいに積み重ねて未来へと向かうしかない。
ガンガーは,人々の人生を載せながら,
わたしたちにどう生きればいいのかを諭し続けているようです。
さあ,今日も,イマココをていねいに生きて、ただ未来の方へ向かって流れ続けましょう。
Hari om