孤独からつながりへ
先日,わたしの中には,久しぶりに,ちょっと強めの切ない感覚が広がりました。
孤独感や劣等感がやってきたんです。
自分は一人なんだなあとしみじみ感じたり,
他の人と比べて自分は足りないなあと感じたり。
孤独感,
わたしが一番強く感じていたのは
30代の前半だったなあと思います。
劣等感,
わたしが一番強く感じていたのは,
高校生~20代前半だったかなあと思います。
でも,かつてといまとで大きく違うのは,
それらの感情を「手放す」という選択肢を得たこと。
つまり、それらの感情に飲み込まれなくなったことです。
どんなに望んでもかなわないこともある。
どんなに望んでも他人にはなれない。
そして,それでいいと思うのです。
それらはすべてわたしが経験すべきことだからやって来るのであって,わたしにできることはいつも最大限を尽くして,あとは手放すことだけ。
孤独感を感じている自分に気づいたら,
「自分はいま孤独を感じてるんだなあ。」
劣等感を感じている自分に気づいたら,
「ああ,自分は不十分だと感じているんだなあ。」
で,終わり。
気づいて,手放して,それで終わり。
これは,yogaがわたしにくれた最大の贈り物だと思っています。
そして,それができるようになってきた背景にあるのは,とっても単純な原則をちゃんと理解できたからかもしれません。
それは「わたしは変わって行く」ということ。
生きている限り,わたしは変わって行く。
「孤独だ」「わたしは不十分だ」
そう感じてるときって,時間が止まってるんですよ。
その時点に,自分を固定してるんです。
でも,孤独を強く感じるようなシチュエーションは変わってくでしょ?
劣等感を感じた対象だって,最初からすごかったわけじゃないでしょ?
わたしたちは,変わって行くんです。
時間とともに状況は変わる。
時間とともに成長して行く。
それをちゃんと理解しているのなら,いっときの感情に飲み込まれにくくなるはずなんです。
yogaを始めてから,わたしはそのことがよくわかりました。
孤独を例に挙げてお話しするなら…
わたしは,孤独だ孤独だと感じていました。
でも,yogaを通じて何かが大きく変わって行きました。
yogaのおかげで,かけがえのないつながりが広がり,強く感じられるようになったからです。
離れていても思い出す度に内側からあたたかくなるような、大切な先生や仲間とのつながりをいただいてきました。
いつもどこかで感じている,何とも言いようのないこの深いつながり。
そのおかげで,わたしはyogaを教えていられます。
いつも,心の中に,というか,背中の後ろに,大切な先生や仲間の存在を感じているから。
それだけじゃありません。
何て言うんだろう,
自然とか,宇宙とか,そういうものとのつながりも,yogaを通じて強く感じるようになってきた気がしているんです。
何も言わないけれど,わたしに愛情を注ぎ続けてくれているような感じが。
そんなことを改めて思い起こしていたら,ああ,そうか,だからわたしたちは,孤独に生まれて来るのかなーと思ったりして。
わたしたちって,このカラダを持って生まれてくるでしょう。
皮膚が,わたしたちを周りのものと隔てる。
わたしたちのカラダは,確かに別々の個体としてここに在る。
でも,それって,本来の,すべてのものの深いつながりを思い出すpracticeのためにそうなっているのかも。
それぞれに別々のカラダをもった存在として,カラダという容れものに隔てられた存在として,孤独に生まれてくるのは,そのためなのかも。
なんだか,そんな気がしてきました。
わたしたちは,一度つながりから切り離されて生まれてくる。
孤独という前提からスタートして,つながりの中へと帰って行くプロセスを,人生をかけて進んで行く。
宇宙との,自然との,すべての生きとし生けるものとのつながり。
本当はすべてとわたしは一つという本質的な深いつながり。
せっかくなら,
人生においてなるべく早くこのつながりを思い出し,その中にもどって行けるように,
そして,より大きな至福と喜びのうちに生きられるように,yogaがあるのかなーと,わたしは思います。
yogaの深遠な恩恵に,宇宙が注いでくれる寛大な愛情に深く感謝します。
Hari om
photo by Sono Aida
[memo] peak poses
for basic: Sun sultation B
for advanced: Sun sultation B or Handstand