思い込みと環境の制約を超えて(前編)
最近ずっと「立つ」「歩く」ということに改めて注目しているわけですが…
わたしね,しつこいんですよ(笑)
だから,今日もまた足のハナシです。
さてさて,ここでみなさんに質問です。
日常生活の中で,足裏を意識することってありますか?
「ある」という方,すごいなあ~
わたし,yogaしてなかったら,まずなかったと思うし…
あの,足裏を意識してたら良いとか,逆だと悪いとか,そーゆー話ではないですので,どうぞ誤解のないように。
ポイントは、逆になんで意識しないで済むのか?だと思うんですよ。
さて,ここで,これまた前回紹介した内田樹さんと成瀬雅春さんの『身体で考える。』(マキノ出版)より
内田さんが足裏に言及している一部を引用させていただきますね~
メル・ギブソンが監督した『アポカリプト』という映画があるんです。
古代マヤ文明の時代を描いた映画で,時代考証はでたらめらしいんですけれど,すごくおもしろかった。
映画のなかで感心したのは,主人公がジャングルのなかを裸足で疾走するシーンがあるんです。
ネイティブ・アメリカンの成年がオーディションで主人公の役を取ったんだそうですけど,演技よりも感心したのは,ジャングルを素足で走れる能力。
これは,確かにふつうのハリウッド俳優に急に「やれ」と言ってもできないと思います。
ジャングルの地面には,木の根や尖った石があり,絡み合ったツタがあったりするわけですから,足下を見もしないで,全速力で駆け抜けられるというのは,たいしたものだと思いました。
足裏の感覚が非常に優れているということですよね。
足裏にセンサーがあって,次の一歩を踏み出すときに,「ここは踏める」「ここは踏めない」を瞬時に判別して,走っている。
そういう能力がある種の社会集団にはまだ残っているんだなと,えらく感心しました。(p.153-4)
そうです!
わたしたちが足裏を意識しないのは,
足裏センサーの感度が鈍いのは,
まずはこの環境に原因があるんですよね。
だって,アスファルトで舗装された道を靴で歩くことばっかりなのですから!
「裸足でジャングルを走る」とは真逆!
足裏センサーを大して働かせなくても,歩けてしまうからです。
ただ,言い換えれば,同じ人間なのですから,
私たちの中には,それだけ足裏センサーの感度を上げられる可能性があるということもできますよね。
その必要がない環境にいるから,足裏の底力を眠らせたままにしているのです。
そして,この環境とともに,わたしたちのさまざまな可能性を眠らせる大きな原因になっているものがあると思うんです。
それが,思い込み!
…といったところで,また本を引用したいんですが,例によってこれが,けっこう長いわけで…
なので,後編へ続く~
Hari om
Parivrtta Ardha Padma Uttkatasana
High Vibe TT, in Ubud, 2014.
[memo] peak poses
for basic: Sirangshtasana
for advanced: Ardha Padma Uttkatasana