思い込みと環境の制約を超えて(後編)

…というわけで,再び
『身体で考える。』(マキノ出版)より

思い込みについて,ちょっと耳のイターい内田さんのことばを引用しますね~
 
 
 
 
ほかの道場で経験した人が入ってくると,難しいですよね。

よそには2、3回しか行っていなくても,
そのときに習ったことを手放さない人が多いんです。

前の道場の何十倍も何百倍もの時間を僕について習っているにもかかわらず,
最初に覚えた動きを手放さない。
 
 
もちろん,ちゃんと切り替えられる人もいます。

自分が以前に習った方法と,ここの方法は違うけれど,富士山に登るのにルートがいくつもあるように,

この道場はこういうルートで登るんだなという理屈がわかる人なら,黙ってここのルールに従う。

目指すところに到達するためには,
無数の方法があるいうことを
わかっている人には教えやすいですね。

逆に,正しい稽古方法は世の中に一つしかない。それを自分は知っていると思い込んでいる人は困りますよね。(p.257)
 
 
 
…こういう人,みなさんの周りにいません?

前の部署のやり方にこだわってなかなか新しい部署に溶け込めない人,とか。

あるいは,自分自身がこういうふうになってしまうことって,ありません?
 
 
…で,この後また,耳のイターい対談は続くのですよ(笑)

 
 
 
[成瀬] 頭が固くなって,もう動かないですからね。

[内田] 頭の問題ですね。
頭は固いけれど,身体は柔らかいという人はいません。

逆に,身体を柔らかくすると,頭も柔らかくなるということはある。
頭も身体の一部ですから。

頭が固い人は,「自分の身体はこういう形なんだ」,「ひじの関節はこう動くんだ」という思い込みがある。

思い込みがあると,それ以外の使い方を思いつかない。

身体を動かすときに,頭のなかに,あらかじめ設計図や工程表みたいなものを作って,その通りに順番にこなしてゆこうとする。

頭で考えてしまう人は,いくら言っても,
初めに設計した図面の通りに身体を動かそうとする。

でも,頭の柔らかい人は,そういう思い込みのスキームを作らない。

だから,自分がどう動いているのか,頭では描けないけど,身体はちゃんと動いているということが起きる。

[成瀬] 人間というのは,自分がイメージした以上のことはできないですからね。

人間の能の支配力というのは,ほんとうに強い。(p.258)
 
 
 
 
そう、環境とともに、わたしたちの可能性に制約をかけているのが、まさにこの思い込みだと思うのです。

この制約が,わたしたちの身体の,わたしたちの思考の,わたしたちの行動の可能性を無意識のうちに抑えてしまう。
 
 
でも,yogaでは,
「わたしたちの本質は自由そのものである」
と言います。
 
 
「人間はイメージした以上のことはできない」のなら,
じゃあ,逆に言えば,

どれだけ自分の内側にこびりついている制約に気づいて,それを手放し,今までのものを超えるイメージを創り出せるかが勝負どころ!
 
 
人間は,ジャングルの中を駆け抜けることだってできる。

本当に望むなら,イメージするなら,それはわたしたちにもできるんです。
 
 
もっと足裏センサーを研ぎすませることだってできるし,もっと身体を柔らかくすることもできる。
もっと頭を柔らかくすることもできる。
 
 
だって,イメージは自由なのですから!
 
 
Hari om
 
 
[memo] peak poses
for basic: Sirangshtasana
for advanced: Ardha Padma Uttkatasana