未知なる箱を解放する

わたしなりに新しいことをスタートさせました。

といってもまあ,せいぜいnewsletter(メルマガ)の配信ですから
そんなにたいしたことではないんですけど

でも,わたしにとっては久しぶりにちょっと
「プレッシャー」とも感じられることでして。
 
 
なのになんで始めたかといえば…

まあ,いつも通り思いついちゃったから
 
 
構想自体はもう昨年からありました。

そして,今年の年明けに,なぜか一気にスイッチが入り,実質的な行動が加速して,2週間で具現化に至りました。

ところが,わたしおっちょこちょいだから
とんでもなくアホなスタートを切ることになっちゃったんですよ…

テスト配信のつもりだったのに,
一斉送信ボタン押しちゃって…
もう引き返せないじゃん…みたいな

まあしかし,とにもかくにも,
宣言しちゃった通りやらなきゃいけなくなった(当たり前)

でも,そのすぐ後のこと。

完全に心の準備ができてないままスタートしちゃったこともあり,

正直ね,なんかちょっと恐れや不安のようなものが自分の中をよぎったんです…
 
 
「 お金があるわけでも,自信があるわけでも,経験があるわけでも, 後ろ盾があるわけでも,すごい人脈があるわけでもないのに,

なぜこんなことを,

もし自分の心身の調子がほんの少しでも崩れたらだれも助けても,だれも代わってもくれないような氷の上を歩くようなことを,

何の迷いもなくやってるんだろうか?」

…と。
 
 
改めてちょっと離れたところから自分のしていることを見てみれば,ちょっと「フツー」と違うかも,とも

そのときにね,改めて気づいたんです。
 
 
 
yogaは,わたしの奥深くにあった未知の箱を開けてたんだなーって。
 
 
以来,

その箱の中に入っていたものが出て来るのが止まらない感じなんです,もうここ何年も。
 
 
だって,本来 外からやって来るものなんて
一つもないのだから,

すべて自分の内側の解放に過ぎないはずだと思うんです。
 
 
そして,「小さなわたし」にはそれを止める気がないのです。
 
 
「この社会に(無難に)適応する」ためには
もう少しコントロールした方がいいのかもしれないですよね(笑)

でも,無理にコントロールして合わせようとは感じないのです。

かといって,わたしの感覚としては,コントロールし切れないからしていない,

あるいは

コントロールをあきらめている,という感じでもないんです。
 
 
ただ,

もっと繊細に気づくことが必要だなーとは思っています。

内側のことも外側のことも。

(前回お話したように,わたしが気づいていないだけで,相手が耳鳴りを感じていたりすることもあるわけですから…

気づく練習はしっかり積み重ねる一方で,

時折ふとこんなふうに不安や孤独を思い出したとしても,

わたしはもう, 意識の解放とその具現化(=行為)をやめません。
 
 
yogaのことばを借りるならば,

わたしは,

「小さなわたし」の中に現れてくる

「大きなわたし」(Shiva)を信じる

と決めているので。
 
 
ちょっとした思いつきや欲望,
ことばでは説明できないような直感には,

奥深くにある未知の箱から湧き出る自分の本質が垣間見えていると思うからです。
 
 
そのふとした瞬間を逃す,
あるいは,見て見ぬふりをする,か?
 
 
それとも,

そこから流れ星のように飛び出してきたものを見逃さずにとらえる,か?
 
 
これ,すごく
大きな分かれ道なんじゃないか,と。
 
 
わたしは,後者を選択します。

その結果がどんなものであっても
(イターい誤送信であっても(笑))
 
 
「成功と不成功を平等のものと見てヨーガに立脚して諸々の行為を」する

(バガヴァッド・ギーターⅡ-48)

ことを続けてみるだけ。
 
 
それは,やっぱり楽しいから。
わたしにとって,それは喜びだから。

将来起こりうる危険への不安も,
現在も振り返れば常に背中の後ろにある孤独もぜんぶ気づきながら,持ちながら,

同時にそれらを越えた至福に満たされて
生きて行くための手立てこそがyogaだと思うから。
 
 
そして,とにもかくにも
すべてがそのpracticeだから。

yogaは,こんなふうに,
あなたの「未知の箱を解放する」だけの
大きなパワーを秘めていると思います。
 
 
アーサナ(ポーズ)の先に待つ奥深いyogaの叡智には,

きっとあなたの「未知の箱」へのカギがあります。
 
 
それを受け入れるかどうかは,

そして,

箱を解放した後どうするか,もあなた次第。

…で,

元素の話の続きはどうしたかって?

もちろん,覚えてますよ!

ちゃんとしますから,たぶん来週こそは…(笑)

最後までご覧くださって本当にありがとうございます

nidaにある「箱」も
咋年末以来「解放」されています。

ハルモニウム。簡易オルガンです。

ほぼすべてのクラスで,この伴奏とともに,
マントラのチャンティングをしています。

yogaは宗教じゃありません。
わたし自身,無宗教です。

逆に,どんな宗教を持っていても,yogaができます。

マントラは,自身の内なる本質を思い出すためのことば。

自らの,そしてすべての内にある輝きを大切にするためのものです。

強制はありませんが,もしよろしければ

美しい音のvibrationに身を任せてみてください。