歩くという自由(前編)〜歩き方を変えることは生き方を変えること

前回のクラステーマは “my path“。

自分のpath=道をどのように歩むかは,
わたしたち自身の選択にかかっているということをお話しました。
 
 
「歩く」

…そのキーワードに,数年ぶりにふと本棚から取り出した本が興味深い示唆をたくさん示してくれました。
 
 
その本は,内田樹さん×成瀬雅春さんの
『身体で考えるー不安な時代を乗り切る知恵』(マキノ出版)。
 
 
内田さんはフランス文学研究者,思想家。
と同時に,合気道師範でもあり,能もたしなむ人物です。

一方の成瀬さんは,毎年ヒマラヤで修行を続けているヨガ行者・指導者。
 
 
わたし,教員時代から内田樹さんの著作が大好きで,めちゃくちゃ読みあさってまして。
 
 
さてさて,「歩く」ことについて,いまのわたしにグッときたところを引用しますね~
 
 
 
[内田] 人間の不幸というのは,
直立したことにあるという説がありますね。

獣は,ふつう四足歩行で歩きますよね。

人間ももともとは四つ足で動くための身体構造になっているんです。

育児中の名越康文先生からうかがったんですけれど,赤ちゃんが四つ足で歩いているのを見ていると,足裏がすごく活発に動いているんだそうです。

立ち歩きしようとすると,すぐに転んでしまうほど歩行能力が低い赤ちゃんでも,
四つん這いで歩くときには,ほとんど完成した動きをする。

それはつまり,四足歩行のやり方は人間の本能に書き込まれているということですよね。

でも,人間は必ず直立を始めるんですね。

無理なのに。

身体が「そんなの無理だよ」と悲鳴を上げているのに,赤ちゃんはなんとしてでも立とうとする。

「直立したい」というのは身体的な必要じゃなくて,多分,きわめて人間的な欲望なんです。(p.87-88)
 
 
[内田] 人間が四足歩行のままであれば,いろいろな病気にかからずに済んだ。

じゃあいったい,腰痛や痔疾や通風を代償にして,人間はいったい何を手に入れたのか?

そう考えると答えは一つしかない。

「定型を持たない身体運用を手に入れた」ということですよね。

身体運用の自由を獲得したということですよね。

人間は直立歩行することによって,「どんなふうに歩いてもよい」という自由を手に入れた。

僕はこれが人間がほかの動物と決定的に違うところじゃないかと思うんです。(p.97)
 
 
 
「歩く」ことについて,こんなふうに洞察するのはとっても興味深いと思いません?

「歩く」ことってあまりにも「当たり前」すぎて,それに目を向けることは実は少ないのでは?
 
 
 
成瀬さんも,まさにこう書いているように…↓

[成瀬] 普段はなかなか意識しないけれど,
歩くこと,歩けるということは大変なことです。

だから,僕は歩いているときに,
突如「歩けてうれしいなあ」と幸福感がわき上がってきたりすることがあります。

ふつうは歩けなくなってそういう感情が起きるものなのかもしれません。

でも,歩けるときに,「歩けるのはいいことだな」と思えないといけないんです。(p.87)
 
 
 
さて,内田さんの言葉に戻りますが。

直立二足歩行がもたらす自由に関連して,内田さんは,2つの例を挙げています。
 
 
一つは,外国人の歩き方。

歩き方は世界各国でみんなそれぞれ違っている,と,自らの経験もふまえて書いています。
 
 
そしてもう一つは,能の「すり足」。

すり足は不安定で,最初は歩きにくかったそうです。

でも,長く稽古しているうちにだんだん気持ちよくなってきたと言います。
 
 
その上で、こう述べているんです↓
 
 
[内田] 歩き方を変えるためには実は全身の使い方をぜんぶ変えなくちゃならないんです。

極端に言えば,生き方まで変えなくちゃいけない。
 
 
 
あらあら~

たかが「歩く」こと,されど「歩く」こと!

いやはや、なんだか話が大きくなってきましたよ~(笑)

(→後編に続く)

Hari om
 
 

[memo] peak poses
for basic: Setubandhasana and variations
for advanced: Urdhva Danurasana