私を通じて最善がなされるように(要約版)

6月,3年ぶりに喉をやられていました。
 
 
きっかけはおそらく,福岡ではやっていた喉風邪をもらったことだったんですが…
 
 
心のうちでは,ある人に対して何に伝えなければいけないことは確かなのに,

言いたいことを言えていない,というか,

そもそも何を伝えるか,どう伝えるか,

決めかねていたんです。
 
 
あなたはこういうふうに伝える内容や表現を迷うこと,ないですか?

そして,そういう時,あなたはどうやって結論を出していますか?
 
 
正直言って,こういうケースは私には珍しいんですが,

でもこういうふうに迷ったときは,とにかくいつも

「私にできる最大限は何だろうか?」

ということを考えます。
 
 
でも,今回はなぜかどうしても結論が出なくて。

1週間近く頭の隅で寝かせたあげく,ある日全く間逆の答えを思いつきました。

でも,それでもまだしっくり来ませんでした。

その翌朝,ハッとする瞬間がやってきました。
 
 
問の立て方自体が変わったんです。

「わたしを通じてその人に対して行われる最善は何だろうか?」

という問い方に。
 
 
そのとき,妙に腑に落ちました。

わたし自身の意思や感情とは全く別にして,

わたしを媒介としてもたらされる

たぶん今のこの人に最も意味のある経験,

この人に最も伝えられるべきメッセージはきっとこれだ,と。
 
 
結局,私はその前日にやって来ていた,何日も考えてきたのとは別の答えを相手に伝えました。
 
 
ちなみに,その結果はというと…
 
 
まっったく伝わりませんでしたよ(笑)

ふふふ。
 
 
でも,そう

ここから先こそがまさに私のヨガのpracticeの本番なんです。
 
 
伝わっても伝わらなくても

ただ同じように受け取ること。
 
 
わたしは,納得して伝えました。

だから,後は手放すことだけ。
 
 
以前,3つのmalaについて書いたことがあります。
 
 
Karma malaー

行為の主体は,本当は,この「小さなわたし」ではない。

真の行為の主体は,「大きなわたし」。

egoを超えた,「大きなわたし」。

どうか,「大きなわたし」としてなすべきことを果たして行けるように。

どうか,このわたしという小さな個体を媒介に可能な限りの最善がなされるように。
 
 

8/5、「生き方が自由になるヨガWS」@カフェ・レストラン ていねいに、(西荻窪)

「本質的な問い」をともに探究する場をこれからもどんどん広げます!

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