続・「反省」しないこと

わたしはもう「反省」しません!

…と,先日はっきり書きました。
 
 
それは,わたしの尊敬するウチダ先生も同じでした(お会いしたことないけど・笑)
 
 
内田樹さんと三軸修正法という独自のセラピーを展開されている治療家,池上六朗さんとの対談をまとめた本

『身体の言い分』(毎日新聞社)の中に,
「反省」について大変痛快な対話があります。
 
 
[内田]池上先生の辞書には「反省」の文字がないんですよね。
それもぼくとまったく同じです。

[池上]反省してはいけない。
自分を否定することになるんだから。

[内田]反省は体に悪い。
僕も学生に言いますよ。
「反省するんじゃない。まだ若いんだから。若いうちに反省なんかしないほうがいいよ。」って。

もうちょっと年をとって暇になってから,余力があればね。
「暇だなあ,あ,反省でもしてみようか(笑)っていうんならね,してもいいけれども。

ものごとがうまくゆかなくて落ち込んでいる時に反省なんかしても,いいことないですから。

[池上]今の世の中って,昔に比べてものすごい勢いで動いているでしょう。

反省と言うのは,過ぎてしまった時点の価値観,過去の規範に合わせることですから。

わたしは立憲主義的ではないので,昔の基準に合わせるという発想はないんです。

[内田]時間を逆に戻ることですからね。
反省は天地の自然に反していますよ。

[池上]現在に乗り遅れる可能性って高くなるでしょう。
って言いながら,人には反省させるけれどね。わたしはしないけど。

[内田]それはただの意地悪です(笑)。

[池上]でも反省って,どこかよくないな,と思っているのは本当です。
できもしない反省をしてくよくよしていると,体にも悪いですしね。

[内田]ぼくもぜったいしないですね。
ぼくはぜんぜん反省しない人間だけれど,
他人にも「反省しろよ」なんてまず言わないですね。

あ,言ってるかもしれない。
でも,そういうことについても反省しないから(笑)。

[池上]自分でやったことを肯定しないとダメですよね,誤解を招く言い方かもしれないけれど,ある程度反社会的なことでも。

自分のやってきたことを反省していると,
どんどん可能性が小さくなってしまう。

(p.228-230)
 
 
 
「反省なんかしなくていいよ」というのは,ラディカルに聞こえるかもしれません。

だって「反省する」のは良いこと,するべきこと,と教えられてきた人がほとんどだと思いますから。

わたし自身もそうでしたしね。
 
 
でも,立ち止まってよくよく考えてみると,いまのわたしには,内田さんや池上さんの話の方が的を得ている,よほど筋が通っていると思えて仕方ありません。
 
 
反省は体に悪い,にも,心底同意します。

自己否定って,自分の身体にも緊張や萎縮を引き起こしますから。

反省し続けてたら,心はもちろんのこと,身体も柔らかくならないですよ。
病気にもなりやすいと思いますよ。
 
 
わたしたちは,どうやって生きたら自分にとって,世界にとってより有意義になりますかね?
 
 
自分の可能性をできる限り広げて発揮した方が自分だってうれしいし,世界にとっても+になると思いませんか?
 
 
わたし自身は,これまでの経験といまのアタマと心でもって,そのように判断しています。
 
 
もちろん,お好きでしたら「反省」されたらいいのです。

あるいは,「反省」してきたことを「反省」することなく(笑),いまから「反省」しないことを始めるのもいいと思います。

選択はいつだって,みなさんの自由なのですから!
 
 
Hari om

[memo] peak poses

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