自分の「先生」を見つける(1) 「先生」の予感と確信
みなさんには,誇りに思う「先生」がいますか?
私がここで言う「先生」というのは,職業としての先生(教師,コーチ等々)に限りません。
(自分自身が長くこの職業をしていたことを振り返ると,ちょっと苦笑いが出そうになる話題ですが(笑))
そうではなく,私はこの人から本当に多くを学んだ/学んでいる,
さらには,学ぶことになるだろうと確信できる,という相手です。
つまり,あなたが「この人は私の先生だ」と思えれば,
その人はまぎれもなく自分にとって「先生」であるということです。
私には、心から尊敬できる自慢の「先生」が何人もいます。
中でもyogaを通じて出会った先生方は,私にとって本当にすばらしいgiftです。
特にこの3年は,「先生」に会うために海外へも出かけることが多くなりました。
これからも,すでにお会いしている方だけでなく,
まだ実際にお会いしたことはないけれど,この方はきっと私にとって,
出会うべきすばらしい「先生」だと感じる相手に会いに,
何度も出かけることになると思います。
「この人は私の先生だ」と思える方に出会えることに,
私はいつも心から感謝と幸せを覚えます。
教えてもらったことやしてもらったことにというよりも、
むしろそういう方がどこかに存在してくれていることを
思い出すだけで心があたたかくなります。
それは,依存とは全く違います。
それは,シンプルな喜び,誇り,希望,エネルギーです!
これから、yogaと旅を通じて出会って来た自分の「先生」のこと,
そして,そのことを通じて思うことを,いくつか述べて行きます。
1. 「先生」の予感と確信
私は、2015年3~4月にバリで、イギリス人の先生が主催するトレーニングを受けていました。
お会いするのは初めての先生でしたが、ネットで写真を見たときから、
この先生は間違いない!と予感していました。
実際、本当にすばらしい方で、この「先生」に学べてとても幸せです。
私にはまだ他にも、写真しか見たことがないけれど、
近くこの方にお会いしなくては!と感じている「先生」などもいます。
…でも、これってよく考えたら変ですよね。
会ってもいないのに,間違いない、とか、会わなくては、とか(笑)
それから、何というか、この方は自分とは違う次元を生きているのだろうな…
と感じるような、すごい「先生」もいらっしゃいます。
(しかし,同時に,その次元と私たちの次元を軽やかに
行き来している感じがまたすごいなあと感じます。
こういう「先生」方に,これからもっとお会いして行きたいと
心から思います。)
…でも、これもよく考えたら変でしょう?
自分は辿り着いてないのに、「違う次元」なんて分かりようがないはずですから。
なのに何となくそう感じるわけです。
そして、何だかよくわからないけど、この「先生」は間違いないぞ、
という予感に従って、そういう「先生」の後をヨチヨチ歩きで追い始めるのです。
そのうちに、よくわからないながらもちょっとずつ見えてくるものがあって、
やがて予感は確信に変わって行くのです。
(それにどれほど時間がかかるかには大きな幅があると思いますが。)
ただし、すばらしい/すごい方が誰でも「先生」かというと、そうではありません。
私がここでお話ししている「先生」というのは、あくまでも
「自分の先生」と感じられるか、自分と何かそういう強いご縁というか、
深いつながりのようなものを感じられるかどうかがポイントだと思うのです。
ですから、たった一瞬出会っただけでも、あるいは実際に一度も会わなくても「自分の先生」になり得るし、
また、カレー職人でも主婦でも「自分の先生」になり得ます。
要は、恋愛と同じようなものだと思うのです。
「世間」が認めようが認めまいが、経験が有ろうが無かろうが、
「自分の先生」はその人なのです。
こういうすばらしい「自分の先生」に出会い、そう確信するには…
まず根拠のない予感を信じることから。
何とも不思議ですが,同時に何とも美しいパラドックス。
こうして,自分の「先生」を探す旅は続くのです。
ついしん:
この辺りの話を興味深く感じた方は、内田樹さんの『先生はえらい』をどうぞ。
(2)に続く