〜女性のためのリトリート in 八ヶ岳〜 感想「すべてが美しい時間でした!」①
11月に行ってきました,”女性のためのリトリート in 八ヶ岳”(11/3〜6)!
いやあ…ホントすごかったです。
ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれませんが,何て言うか,人間って,ああいう瞬間を体験するために身体をもって生まれて来ているんじゃないかなあと感じるほどで。
そして,それを重ねるほどにわたしたちは解放されて行く。
自らの中にある大きな可能性や広い選択肢が湧き出てきて,それを自ずと実践できるようになって行く。
ヨガが,人間として生きる目的と明言しているゴールに,ほんの少しずつ近づいて行く。
―そんな感覚があります。
わたしがリトリートを主催するようになってもう4年以上が経ちますが,年々その効果が強く,深くなっているのを感じています。
それにはやはり時間の魔法が効いているんだなあということを,今回は特にしみじみと感じました。
今回のリトリートに参加してくださったのは,少なくとも3年以上はnidaのクラス・WSに通い続けてくださっているみなさん。
すでにご自身の中で大きな変化を経ていることはもちろんのこと,kula(コミュニティ)やわたしとの間の信頼がすでに十分育まれています。
だからこそあの化学反応,あの収穫に結びついて行ったのだなあと。
そんなみなさんからとても美しくパワフルな体験や体感、それぞれの気づきに満ちた素晴らしいフィードバックをいただきました。
ご了承をいただいて,シェアさせていただきます。
(一部個人名や内容については伏せさせていただいております。)
ご協力いただいた参加者のみなさん、本当にありがとうございます!
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1) 今回のリトリートで特に良かった,心に響いた点・内容は?
「全部ですが、今回は死、家族について 信頼できる仲間の中でこその深いシェアリングが心に響きました。
ぜひ続きをお願いします。」
「・Somatic movement の〜
・3日目の夜の〜をチャンティングした後にエネルギーレベルが高まったのを感じてあまり眠れなかったこと。
・さっちゃんとの出会い
・サークル囲んだこと全て」
「デジタルデバイスからも解放され、自然に触れ合いながら仲間と過ごす時間・空間は、深いリラクゼーションを味わわせてくれます。
4日間のリトリートの間、シェアリングの時間がたくさんあり、自分が話すことを皆がただ聞いてくれ、他の人の話も聞くことで、つながり、分かり合える安心感が得られました。
今回は皆んなで一つのコテージに泊まっていたので、ベットに入ってヨガニドラーを行い、そのまま就寝という快眠コースが最高でした!」
「・大自然の中で、家族のように大切な仲間と一緒に4日間を過ごすことができたこと。プログラムすべて。
・シェアリング
1人1人のシェアリングが、すごく愛しくて、このまま何日もこうして話し合っていたい感覚だった。
ウーマンズサークルの中で、〜について聴きあったこと。すごくパワフルな体験でした。
シェアリングの中で、〜さん、〜さんが、私が強い!と言ってくれましたが、
自分でも、自分の中の強さを信頼することができるようになってきた。
より感覚的なことでいうなら、自分も含めた万物にやどるシャクティの力強さを信頼する、といった感じ。
・ごはん・お茶
みんなで持ち寄った〜!楽しくておいしかった。
さっちゃんの力強いエネルギーに満ちたごはん、優しいインドカレー、ピクニック、すべて良かった。
・ソマティックムーブメント
最終日、ソマティックムーブメントの中で、エネルギーの爆発ともいえる体験をしたこと。
そして、そのあとの「〜」の体験。
急に、せきを切ったようにひとしきり泣いて、ひとしきり笑って。
そしてそのエネルギーが皆に伝播して、皆も泣いて、笑っていて。
ワーッと集まって包んでくれて、個としてのだれかをハグしているというより、
全体の私をハグしている、境目のない1つの黄金の球体を包んでいる感じ。
本当に、こんな体験がこの人生で味わえるなんて、なんて幸せなんだろう、この体験があればこの先ずっと一人じゃない。
そう思える出来事でした。」
「〜や〜を参加者自らが口に出してシェアする経験ができたこと。
自分自身の〜や〜をオープンにすることは、ある種の神聖さが伴う行為であるということを、体験を通して感じることができました。
なぜ、それに「神聖さ」「尊さ」を感じるのか、その感覚は、頭で考えて理解できる性質のものではなく、
身をもって体験することではじめて実感し得る性質のものだと思います。
特に、マントラやチャンティングなど、先人の知恵による道具だけではなく、
参加者自らの言葉によって、それぞれの「神聖さ」を身をもって経験できたこと自体が奇跡的でもあると同時に必然的でもあると感じられたことが、非常にパワフルな経験だと感じました。
この時に受けた、心の奥底を揺さぶられるような感覚は、その時の感覚そのものをしっくりとくるような言葉に落とし込みがたいというか、
私の扱う「器」としての言葉から、溢れてしまうもののほうが大きすぎる、、という感じがありました。
混沌の中から何かかたちあるものが現れた瞬間のような、闇から光が生まれた瞬間のような、神話の始まりのようなスケール感のある感覚。
語られている言葉の「意味」ではなく、言葉を通してにじみ出すように現れる、
それぞれのエネルギーの原石のようなものに圧倒されるようでした。
そのインパクトは、それぞれが「神」であるという奥義のようなもの、といっても過言ではないと思いました。
感想が大幅にマニアックに偏っております為、リトリートの参加者の声としては使いにくいものかと思いますが(笑)
せっかくの機会ですので、感じたことを思い切って言葉にしてみました。」
「仲間との日常の一瞬一瞬が、有り難く幸せでした。
仲間の笑顔、仲間の心の変化、自然の美しさ、自然の神々しさ、その中に浸り安心して過ごしていると、
自分も皆と一体化して溶け込んだような気になり、幸せでした。
自然の神々しささえも自分の内にも感じ豊かな気持ちになりました。」
「シェアのパワーは、今までnidaに通って様々なシェアの場で存分に実感していたのですが、このリトリートではさらに驚くほどパワーアップしたシェア・サークルでした。
そしてソマティックムーブメントは圧巻。
初めての感情・思いがけない動き・あなたも私、私もあなた、全てが繋がっていることを体感しました。」
「・今回は昨年参加した八ヶ岳リトリートに比べて肩の力が抜けていて、豊かさをただ享受して、その中に溶けていくような4日間でした。
そのおかげでより深い場所へ向かうことができたリトリートになったように感じています。
参加するにあたって、私はつい“何者かであろう”としてしまう自分を見つめてみようと思っていました。
この思考癖があるがゆえに、自分らしく自由に生きたいと思いながらも、不要なものを身につけている感覚があったからです。
そのためのチャレンジとして、リトリート中は、メモを取ることを手放し、感じたことをすぐに適切な言葉に変換して表現しようとする思考も手放し、感じることだけを優先してみました。
今よりもっと良くなりたい、たくさん受け取りたい、そのためにも情報を書き残しておきたい、という欲。
これも何者かであろうとする一つの表れだと思います。
「今の私」が感じることを優先し、そこから得られる経験だけが私の中に刻まれて、自分の世界が拡がっていくのだと、思考ではなく体感で理解しました。
これは新たな自分の誕生の瞬間でした。
また、今回、「自分の〜について」語り合う時間がありましたが、一人ひとり異なる〜を聴き合う、美しい響きの場となって、今の自分のサンカルパも定まっていきました。
サンカルパを心の中で唱えるとき、自分らしくいられることを感じています。
・ゆかりさんが伝えてくれたこと、みんながシェアしてくれた話、それぞれの在り方、何一つ忘れたくないそんな気持ちになりました。
メモしなくても、すべてが私の細胞に刻まれていったと思います。
大好きな人たち、大家族、〜(笑)。
あらためてKULAの存在の素晴らしさを体感した4日間でした。」
2)このリトリートの中,あるいはその後も含め,何か変化は?
「このリトリートで何が自分の〜なのか確信したので思考ぐるぐるやもやもやがほとんど出ないです。
ナチュラルニヤニヤ、鼻歌 幸せだなぁとつぶやく 笑
家族との会話と娘とのハグがやたら増えた (気持ち悪がられてます)
仕事をリラックスしてできている
やりたいことが次々と出てくる」
「とても心が落ち着いている。」
「リトリートの直前まで、仕事、プライベートのさまざまなことが重なり、忙しくストレスが強い状況でした。
リトリートの間に、緊張感から解き放たれ、自然に満ちあふれた穏やかな世界にひたることができました。
リトリートから戻って2週間近くたちますが、リラックスした感覚がどこか残っています。
特に週末などは寝る前に部屋を暗くして、キャンドルを灯し、リラックスできる音楽を流したり、体を休めることを自然に取り入れています。」
「昨日の満月をみながら、ああ、あのリトリートの時には新月付近だったのに、もう月が満ちたんだなあ、と思うとともに、
リトリートで唱えたサンカルパがどう私に影響したか?を感じていました。
そう思うだけで、すごく幸せな気持ちになりました。
・体感をより信頼できるようになった。
日常に戻っても、ふとした瞬間(落ち葉を踏んだ時。空を見上げた時)にリトリートの時の体感が身体に降ってきて、その恩恵に浸っています。
その体感でいると、仕事でもプライベートでもスムーズに進んでいくことが増えた。
・自分が食べたいものを選択できるようになった。
自然な調味料を使用したり、お肉をとらなくなった。
家族にはお肉入りのおかずを作っているけれど、思っていたより不都合はなく、簡単にできたことがびっくり。
(というのも、別々のおかずを作るのは面倒だなあ・・という気持ちも以前は少しあったので。)
会社でのお昼も、手作りの野菜中心の定食屋さんを最近みつけて、そこによく通ってます。
〜さんから、つぶつぶ雑穀スープのことも教えてもらって、美味しく続けています。
良いエネルギーをたくさんいただけるような食事を、自分にも夫にも提供できたらいいな。
・夫との関係性
パワーバランスが変わったのかも・・・
以前は夫が上でいたい!という感じだったけど、
最近は、私のほうが上かもです?!体調があまりよくないのもあるでしょうが、いじわるもほとんど言わないし拍子抜けです(笑)
リトリートで得た幸せなエネルギーが、私を通じて夫にも少しずつ伝わっていっている気がします。」
「リトリート4日間における変化とか、リトリート直後の具体的な変化、というよりは、これまでyogaを学び続けたことによる経年的な自分の感性、感受性の変化を、今回のリトリートという場を通して味わうこができたような気がしています。
何をどう学んだのか、言語化できるほどに理解できていないのかもしれません。
でも、自分自身の言語による理解の範囲に、今回経験したことを閉じ込めてしまわずしばらく置いておきたい、という感覚でもあります。
それをとても貴重な経験として、今もゆるゆると味わい続けています。」
「数年前からは、泣き顔で必死に頑張っていましたが、Yogaの学びを深め、nidaのリトリートを7回以上も参加しているうちに、悩んでいた頃とは、別世界の様に強靭に生き、不思議と無理なく恵まれて、豊かに幸せに自由になっています。
リトリート中にも、ナチュラルハイでご機嫌な自分に気付きながら、自分へのご褒美を満喫しました。
自分に対し惜しみなく愛し、信頼していると、不思議と魔法のように、個性を発揮しちゃうようで、リトリート後の仕事もとても順調で、仕事以外にも複数個性を発揮して貢献しています。
疲れ知らずでエネルギーに溢れて元気です!」
「自分が仕掛けよう(努力して話そう、動こうetc)としなくても必要な時に自然と言葉が口からでてきたり勝手に身体が動くことがわかりました。
思考が優位にならない貴重で大切な経験が苦も無く出来ることがわかりました。
そして、仕事の場面では色々試される事象が出てきているのですが、リトリート以前までのような苦痛を伴わずに過ごせていることに気づきました。」
「・ソマティックムーブメントの中で、自分が心地よいポーズと他人の心地よいポーズは違うのだから、ただ自分らしくいればよい、他人になろうとする必要はないということを体感ではっきりと理解しました。
・後日談ですが、ひらがな50音が存在しているからこそ、私たちは感情や物質のエネルギーを言葉という形にできていること、それらが文章となることで、人に伝えたり、また自分の内面を整理したりできるのだという、当たり前でありながら全く意識していなかったことに気づかされ、ことばの尊さに感動して涙することがありました。
いま自分がこの瞬間発しているこの言葉を味わうこと、大事に扱うことが今この瞬間を大切にすることにつながっていくのではないかという思いを持つようになりました。
・これも後日談ですが、金色に輝く一本の白樺の木に出会い、スペースがあるからこそ、はっきりと輪郭が見えてくるものがあるということ、どんなに一つひとつが美しいものでもそれらが混み合っていたら、一つひとつの美しさまではなかなかたどり着けないなと思わされ、心の中を整えていくことの大切さを言われているようでした。
それはリトリートの最後にひいたオラクルカードの書かれていた言葉に繋がっていると感じました。
私のサンカルパに沿って、大切にしていきたいものについてさらに向き合っていこうと思います。」
3)このリトリートへの参加を決めた理由は?
「直感
ある程度時間が長いリトリートに参加したかった
去年のリトリートが楽しすぎた」
「なんとなく、心がyesと言っていたから。
去年のリトリートで人生がぐんと良い方向に行ったので、今年も何かあると確信していたから」
「2019年にバリでのリトリートがとてもよい体験だったので、また長めの日程のリトリートに参加したいと思っていました。
今回は、初冬の長野の自然を満喫することができ、心身ともに癒される時間になりました。」
「いろいろ迷っていたが、最後は「行きたい!」という心の声に従った。正解でした♪」
「参加を決めた理由はない、というのが最も実態に即した回答になるかと思います。
具体的に何か体験できるかは、実際にその日になるまで知り得なくても、素晴らしい経験ができることだけは、先に知っている感じがするので、ただその感覚に乗っかっただけという感覚に基づいているような気がするからです。
(おいしそうな果物か何かが、食べる前からこれはおいしいはず!って食べる前から先行的に感知している雰囲気に似ていると思います笑)
理由ではなく、きっかけは、〜さんが声をかけてくれたことです。
去年は、ゆかり先生に声をかけていただいて参加させていただきました。
いつも見事なほどにありがたく乗っからせていただいてばかりです!
私自身の言動も、自分でも知らないうちに誰かがいつかどこかでyoga of livingの経験に「乗っかる」梯子の一端にでもなれていたら嬉しいですね。。」
「テレワーク中心の生活なので、自然を感じたかった為、また、順調な自分のケアをして自分へのご褒美をしたかった為。」
「直感。と思っていたのですが、今まで参加したリトリートでの経験から今自分に必要なことが起こると確信があったからですね。」
「今後フォーカスしたいものを明確にすること、そのための自分の中にある違和感の掃除・何者かであろうとして身につけてきたものを手放していくこと」
・・・フィードバック②へ続く