2025 アンドレア来日ツアー感想④「アンドレア先生という深い瞑想へのアンカーのような存在感」

3/29-30 湯河原リトリートの感想

「ゆかり先生、おはようございます。
先日は2日間の湯河原リトリートありがとうございました。
まさに今年のアンドレア先生来日ツアーの一連のセッションの集大成、満開の桜に包まれ祝福に満ちた素晴らしい時間でした。

意識が1つの場所にとどまり、安定し安心して十分な時間身を置くことができれば、瞑想は自ずから起こる‥今年の瞑想イマージョンでもアンドレア先生が「スタディ」と「プラクティス」を通して何度も教えてくださったことです。

湯河原リトリートでは、アンドレア先生という深い瞑想へのアンカーのような存在感を存分に感じることができ、ゆかり先生がアレンジしてくださった静かで温かく安心して学びに没頭できる素敵な場所がある中で過ごすわけですから、特に意識せずとも半分くらいは既に瞑想的な状態になっていて、その上にアーサナやチャンティングや瞑想のプラクティスをするから、自ずから集中の質感が普段とは全く異なり、深い眠りから目覚めるような感覚を捉えやすくなったのだと感じます。

リトリート中にもお話させて頂きましたが、今回はマントラチャンティングから受け取った経験がとにかく印象に残っています。

始まりのマントラでは、闇の中に金色の光のような雨のようなものが降り注ぎ、たくさんの蓮の花が沼から茎を伸ばし次々に花開かせている、受け取るものと与えるもの、互いに祝福し合う限りない祝福と生命の輝き、そのイメージというかビジョンのようなものを受け取り、それは(私の思考によるものではなく)マントラチャンティングから与えられたものだと感じました。
この受けとったイメージを語ること自体はなんとか出来そうですが、そこから受け取った経験は、なんというか量的にも質的にも言語化しきれない感じなのです。
とんでもなくたくさんの言葉が必要になるし、言葉を尽くしても語りきれない、というか、言語的に把握できる部分だけを切り取って記録するメリットもある一方、そこから零れ落ちる部分が非常に大きいような感じがするのです。(空海さんの言葉にも、何かそのようなことをおっしゃっているものがありましたね)

と同時に、その豊かで深遠な恩恵はともにチャンティングすることで皆と分かち合える経験なのだろうな、と感じるし、私自身も言語的思考的にではなく、チャンティングや瞑想、アーサナなどのプラクティスによってその経験が染み込むというか、深まるのだろうなと思います。

先生の先生、そのまた先生から受け継がれる大切なマントラ、それに意識を向け、呼吸を合わせ、声を合わせ、波のような共鳴しあう音の響きに心を委ねることには、それだけの力があることを実感できたことに深い感慨というか、有り難さを感じました。

マントラについて、言葉を用いながらも言語的に意味を取っているのではなく(日本語訳を通して意味を解釈しているのではない)、音と呼吸の響き合いからダイレクトに先ほどの蓮の花のようなイメージを受け取っている感じがして、なんというか、タントラ的というのはこういうことなのかな、と振り返り的気付きがありました。

また、終わりのマントラにも深い印象を受けました。
偉大な作曲家の最後の作品などの形容に使われる「白鳥の歌」という言葉が思い浮かび、透徹した空のような、祈りのような響きが自分の内側に沁み通ってくるようで、大変に清らかで美しいものに心が触れたような感覚がありました。

形あるものの終焉、手のひらから砂が零れ落ちていくような感覚、きゅっと心を掴まれるような感覚、それとともに、静かに重い荷物を床に下ろしたようか解放感、なんと言ったらよいか、「不滅の魂」みたいなものへの確信、あたたかな安心できる何かに全身が包まれるのを感じ、心が何かに満たされ涙が溢れました。
このマントラも、言葉の意味を追いかけることなく、マントラの意図というか中身が、響きを通して直接流れ込んでくるようでした。

だいぶ言葉足らずな点が多々ありますが、湧き上がってきたものをそのままフィードバックさせて頂きました。

海岸で綺麗な石を見つけて持ち帰るようにチャンティングの美しい経験を日常に持ち帰ることができました。
この経験も、今回のリトリートで探究したマインドの「避難所」のひとつとして、お花を備えるように柔らかな集中を捧げたいと思います。

いつも本当にありがとうございます。
来週のインテグレーションWSも楽しみにしています。
まずはお礼まで。」



3/29-30 湯河原リトリートの感想

「親愛なるアンドレア・ゆかりさんへ

二日間の瞑想リトリートを開催していただき心より感謝申し上げます。
(単なる「ありがとうございます」では表現できないくらいの想いです)

私にとって「経験のみが信頼へと導くことができる」ことを再認識する時間となりました。

まずリトリートが始まる前に、お供えもの[他人(自分)を拒否・否定する心]、受け取るもの[全てを丸っと受け入れる心]を書き出している時に突然最初の気づきがやってきました。
日々の生活の中で家族に対する苛立ちの感情の裏に「また私がとばっちりを食らうのか。もう、うんざり!」と思う反面、「私がやらなきゃ!」という義務感が深く刻まれていることに気づいたのです。
心の奥深くに刺さった棘が抜けたような感じがして、自然と感謝の念が溢れて涙を堪えるのに必死でした。

そして次なる気づきは、瞑想そのものに対する姿勢の変化です。
今までは、瞑想する際ただ漠然と座っている、もしくはある問いに対する答えが欲しくて掴みに行っていた気がします。
でもこの二日間で、瞑想とは純粋な〈わたし〉という源への旅であるということ、目の前にあるリアルだと思い込んでいる映像をコントロールするのではなく、源へと還っていくその過程で全ての問題が解決されていくのだと気づきました。

こうして二日間のリトリートの感想をまとめていて気づいたのですが、今更ながら(大変申し訳ないのですが)ゆかりさんがWSのネーミングを「〈わたし〉をめぐる旅」とした意味が深く理解できたのです。
ゆかりさん、kulaと共にこの旅を始めて何年が経ったのでしょうか。
いろんなことが沢山ありましたが、nidaで学んだ全てのことが今の私に繋がっています。
頭で理解するのではなく、肚落ちする、深い意味での理解へと繋げるのが数々の経験であり、その経験のみが信頼へ導くことができることを確信しました。

今回のリトリートは私にとって「わたしをめぐる旅・第一章」の終わりであり、「わたしをめぐる旅・第二章」の始まりだと思っています。
これからの「わたし」がどんな人生を展開していくのかとても楽しみにしています。
これからも末永くよろしくお願いします。」