my path
“Our paths cross! :-)”
(私たちの道はまた交わったね!)
さっそくクラスではお話ししていない裏話から始めると…(笑)
今年11月、わたしはタイで行われる
Anusara yoga 300hour
Advanced Teacher Training に参加します。
決めたのは今年5月。
インドを旅していたときでした。
実は、なんと、このトレーニングを主催されるJonas Westring先生と、リシュケシュの音楽教室で再会するというビックリ仰天な偶然!をいただいたのがキッカケなのです。
(わたしは、ヨーナスが入ってきたとき大声でうたっていました(笑))
その数日後、彼がメールでわたしに、
生徒 兼 日本語通訳/サポーターとしての参加を提案してくれたことを受けて、タイ行きを決めました。
このトレーニング、
ヨーナスももちろんすばらしいのですが、
わたしの尊敬するyoga哲学の先生
Carlos Pomeda先生がいらっゃるのも行きたくてたまらなかった理由でした。
ヨーナスのありがたいお誘いを受け、カルロスにも報告メールを書きました。
2年前、昨年に続いて、今年もまたカルロスを招くTTに参加できるなんて。
そして、わたしのメールに対するカルロスからのお返事にあったのが、最初に挙げた言葉だったんです。
“Our paths cross! :-)”
…はー、やっと話がつながったよ(笑)
さてさて、 わたしね、この表現が大好きなんです。
別々の場所で別々の人生を歩んでいる者同士が出会うという偶然。必然。
path=道
という表現は、まさにそれにぴったりだと思うからです。
軽やかだけれど、同時に深さを感じることば。
わたしたちは誰しもそれぞれ、自分自身のpathしか歩けません。
その道が一体どこへ向かうのか、
目的地を明確に見据えて歩いている人は
そんなに多くないかもしれません。
そこへのルートも予測不可能だろうし、
この道で本当にいいのかな?と不安や迷いが生じることも少なくないのではないかと思います。
でも、わたしたちがそのpathをいかに歩むかは、否応なくわたしたち自身の選択にかかっています。
おどおどした足取りで、不安や恐れにかられながら歩くのも一つの道。
ふらふらした足取りで迷いと疲労を抱えながら歩くのも一つの道。
ドスドスと足音を立てて怒りと野心に満ちあふれて歩くのも一つの道。
どんより重~い足取りで悲しみと孤独に苛まれて歩くのも一つの道。
あるいは、力強いのに同時に軽やかで落ち着いた足取りで、幸せと楽しさを噛みしめながら歩くのもまた一つの道です。
わたし自身は、一番最後に挙げたような足取りで進みたい。
だって、カルロス含めわたしが出会ってきたすてきな先生たちはみんなそれぞれ、
しっかりと地に根を張った足で歩きながら
同時にハートは暖かくふんわりと軽い、
まさにそんなふうに道を歩んでいる方ばかりでした。
自分自身がどのように道を歩んでいるかによって、どのように道を歩んでいる人と出会うかは変わると思うんです。
そして、互いの道が交差したときにどんな化学反応が起きるかも大きく変わると思うんです。
だから、自分の道をいまどのように歩んでいるのか、どのように歩みたいのか、気づくことがとても大切ではないかと、わたしは感じるのです。
そして、たとえどこへ向かうのかはっきりしなくてもしっかりとした足取りで歩みたいのなら、自分にとっての最良のガイドは常に自分の内側にいることを信じたらいいと思うのです。
いま、わたし自身は、そうしています。
他の誰のアドバイスよりもわたしの足取りを力強くし、わたしの心を幸せと楽しさで満たし、まだ見ぬ先へ導き続けてくれているのを感じています。
わたしたちは、身体的にも、精神的にも、そして人生においても、自分の道においてどのように立ち、どのように歩むかを選択できる。
みなさんはいまどのように自分の道を歩いていますか?
この先、誰のどんな道と交差するのかワクワクしながら今日も歩んでいますか?
Hari om
photo by Sono Ainda
[memo] peak poses
for basic & advanced: Tadadana