スティラ(安定)とスカ(快適)
前回『ヨガ・スートラ』の中にある一節を引用しましたね。
「アーサナ〔坐法〕は,快適で安定したものでなければならない。」
STHIRA SUKHAM ASANAM.(Ⅱ-46)
(スワミ・サッチダーナンダ著/伊藤久子訳
『インテグラル・ヨーガ』p.249)
あらゆるasana=ポーズの「原則」は
常にSthira(スティラ=安定)とSukha(スカ=快適さ)の両方が必要であること、
そして、その最適なバランスを見出すこと。
この「原則」って、asanaの中でなく、あらゆることにおいて共通だと思うんです。
たとえばね、人間関係の中でも、いかに安定と快適の両方がバランスよく心身双方にある関係性を構築できるかが、カギじゃないですか。
たとえば、いかに親しいパートナシップの中でも、お互いに自分に対する拘束が強まってきたら不快感が大きくなるでしょう?
何かにつけて指図されたり、
細かくいろいろ聞かれたり、
自分のしたいことを我慢して時間を割いたり…
そりゃそうですよね。
快適じゃないんですから。
これって、家族の中でも、職場の関係でも、師弟関係でも、同じでしょ?
ただ、パートナシップや家族の中では特に起きやすい。
甘えとでもいえるものが生じやすくなるからだと思うんですけどね。
同時に,我慢も。
いずれも,よく無意識のうちに,ね。
(ま、これに踏み込むとまた話がズレて長くなるから,また別の機会に~(笑))
でも、そもそもなんでそんなことになるんでしょうね?
なんで相手に快適じゃないことを求めてしまうんですかね?
自分だって本当はそれで快適なはずないのに。
わたし自身の経験を通じての考えでは…
それって、自分自身が安定してないからじゃないですかね?
でも、あくまでも 快適 は 安定 の代替にはならないと思うんです。
その両方が、そのバランスが求められるんですよね、常に。
ね、asanaの「原則」と同じじゃないですか?
つまり、asanaの中で、身体やその感覚を通じて学ぶことは、精神面においてもすごく意味が大きいってことですね。
話戻りますけど,じゃあその 安定 と 快適 のうち,どちらがまず先立つんでしょうか?
もちろんどっちも必要で,どっちも互いがあるからこそ、さらに広がるんですけどね,
わたしは、安定が先、と確信します。
asanaもそうやって組立てていますが,それ以上に,自分自身の人生の中でそう実感しています。
20代までのわたしには,安定 なんてカケラもなくて(笑)
いまは,当時のわたしには依存 しかなかったんだなあってよくわかります。
でもね,それでよかったんだと思う。
それが必要だったんだと思う。
だって,それがいまの安定につながっているのだから。
もちろん,不十分にしろ,ですよ。
そして,安定 が育って来たら,快適 は自然に広がり始めたんです。
で,快適だから,あ~これでいいんだ~ってわかって,それでまた 安定 が深まる…
ふと気づいたら、徐々にそういうサイクルに入って行ってたんですよねー
最初はすごいキツかった~~~!!
いやほんとに…
なのに,ここまで来られたのはyogaのおかげ。
だって,「安定 って…自分に自信もないのに
どうやって築けっていうのよ~」っていうジレンマを吹き飛ばしてくれましたから。
「ま,大丈夫だから。
あなたも,大きな流れの一部だから。
だから,最初っから自信も心配も要らないから。安心して,流れに乗って行きなさい。」
yogaは,そう示してくれましたから。
だからね,だれでも,何にもなくても,安定の方向へ進めるんです。
これ,断言できます!
わたしだってできたんですから。
そうしたら,自然に人間関係も変わっていった。
わたしのyogaの先生の一人があるとき示してくれた表現を思い出します。
「美しい距離」
その先生の先生がおっしゃった表現だそうです。
バランスのとれた 安定 と 快適 は人と人との「美しい距離」にもつながるんだと思います。
そしてそれがまた,さらなる安定と快適を広げて行く。
そうやって,すてきなサイクルは加速する。
大丈夫ですよ,本当に誰でも,いつでも,このサイクルに入れますから。
…て、今回は,実際クラスで話してないことけっこう書いちゃったな。
ヴィパッサナー瞑想での9日間の「聖なる沈黙」明けでちょっとおしゃべりになってるようで(笑)どうぞご容赦を~。
Hari om
[memo] peak poses
for basic: Parsvakonasana and the variations
for advanced: Visvamitrasana (back knee on the floor)