asanas for meditation

大好きなCarlos Pomeda先生に学ぶことから始まった7月。

そして、来週からは念願のヴィパッサナー瞑想にも参加します!

わたしにとってこの7月はまさに「瞑想と哲学を深める月」に。
 
 
いや、しかしねー…
正直、まさかわたしでもこんなふうに瞑想に取り組めるときがくるとは…

ひとって変わるものですね~(笑)
 
 
だって、わたし、瞑想について2年前まで本当にニガテ意識の塊でしたから…

そもそも、瞑想といえば…
6年前にstudio yoggyでyogaを始めて間もなく最初のトレーニングコースに飛び込んだんですけどね、

そのときに初めて学んで衝撃を受けたことの1つが、asana(アーサナ=ポーズ)の練習は長く座って瞑想できる身体を整えるためのもの…ということでした。
 
 
いやいや,だって,わたし,肩こり頭痛がひどくてyoga始めたようなものだし…

わたしゃ瞑想なんか興味ないですよーって,思ってたんですけどね…

なんとなーく興味が出てきて…不思議なもんですねえ~(笑)
 
 
 
さて,瞑想のためのasanaといえば,
『ヨガ・スートラ』の中にはこんな一節があります。
 
 
「アーサナ〔坐法〕は,快適で安定したものでなければならない。」
STHIRA SUKHAM ASANAM.(Ⅱ-46)

(スワミ・サッチダーナンダ著/伊藤久子訳『インテグラル・ヨーガ』p.249)
 
 
 
また,スワミ・サッチダーナンダは,そこに以下のような解説を加えています。
 
 
「われわれに必要なのは鋼鉄の強さであり,同時にまた、その柔軟さである。

非常に硬くて強いがもろい、粗鉄ではなく。

身体は,どの方向にでも思いのままに曲げられるように,柔軟でなければならない。

そういう身体は,いつも健康で緊張がない。

そういう身体で瞑想すれば,座ると同時に身体のことを忘れてしまう。

そのような瞑想的な身体にするために,その予備的操練として,われわれはたくさんのポーズをとるのである。そのためにハタ・ヨーガはあみ出されたのだ。」(p.251)
 
 
 
正直なところ、わたし自身は瞑想のためにと思ってasanaの練習をしてきたわけでは全くありません。

ただ、楽しいからやってきただけ(笑)
 
 
でも、あらゆるasanaの「原則」は同じです。

Sthra(スティラ=安定)とSukha(スカ=快適さ)の両方が必要であることはよくわかります。

そして、このどちらもが身体的・精神的側面の双方にあって初めて瞑想へと至ることも。
 
 
別に、瞑想のためにとasanaを練習しなくていいと思うんです。

でも、いつか自然に導かれるなら、それもいいかもしれません。

だって、何においても「原則」は同じだと思うから。

だから、結局すべては同じところに通じてく。

asanaの中でも,人生の中でも,
いかに安定と快適の両方を心身双方に広げて生きていくか、というところに。
 
 
瞑想はyogaが考える、その最重要な最短ルートってことだと思うんです。
 
 
わたしはかつてCarlosがおっしゃった

”Every meditation is good!”
(どの瞑想もよい瞑想です。)

に支えられて、コックリコックリしながらも何となく楽しんでます(笑)

みなさんも、結果を気にせず、asanaも瞑想も気楽に楽しんで~!

Hari om

(一年ぶりに来日されたCarlosと!大好きな先生のそばで学べることは最高の喜びです。)