「反省」しない こと
わたしはもう「反省」しません。
わたしの人生には、もう「反省」は要らないです(笑)
昨日、facebookに、
「つくづく、わたしは何にもしてないなあ〜…と、昨日改めて感じました(笑)」
と書きました。
クラスで感動や気づきを得てくださる生徒さんや、マッサージで癒しや気づきを得てくださるクライアントさん。
とってもうれしい。
でも、実際にはわたし、何もしてないんですよね〜。
クラスでお話ししてることって、本の引用だったり、yoga哲学のポイントだったり。
わたしの体験・人生というフィルターは通してますが、別に、わたしのオリジナルなんて何もなくて、ぜんぶ「いただきもの」の「おすそ分け」(笑)
マッサージだって、実際、癒しているのも、気づきを得ているのもご自身ですから。
ご自分で、自身の中にある力を引き出されているだけですから。
だから、「わたしはホント何もしていない。」と。
そして、こう続けて書きました。
「でも、これ、卑下でも謙遜でも反省でも開き直りでもないですよ(笑)
この「何もしない」が「仕事=私事」と思っているんです(笑)
だって、みなさんご自身でできるのが一番ですから。
わたしができるのは、わたしのことであるように、みなさんはみなさんのことをされるって自然でしょう?」
昨日はさらりと書きましたけど、もうちょっとだけここから話を広げますね。
わたし、ホントに何もしてないなーって、つくづく思うんです、最近(笑)
もっと「努力」できるんでしょうけどね〜
以前 ”effortless“(←クリックすると飛べます)っていうタイトルで、
「真に大切な目標とかモチベーションとか努力して、考えて出てくるものじゃない」と書きました。
わたし、本当に日々「努力してないな〜」って実感します(笑)
こういうときね、むかしはよく自分を責めてムチ打とうとしたんですよ。
「もっとできることがあるのに!わたしはサボってる!もっともっと向上しなくちゃダメだ!」
ってね。
そうやって、「問題」を定めて、それを有している自分は「悪く」て、
もっと「よく」ならないと!とたくさん「反省」しました。
何か「失敗」したり、
何かが「不十分」だったり、
誰かから「批判」されたり、
誰かと「衝突」したり、
誰かを「傷つけ」たり…
その度に「反省」しました。自分は「悪い」と。
「問題」を定めて「改善」しないと、と。
そして同時に、自分を嫌いに、自分を低く見るようになって行きました。
教員でしたからね、「反省しなさい」みたいなことも多々言いました。
この名称、当時から嫌いだったけど「反省文」とか書かせなきゃいけない
こともありました。
でも、わたしはいまは確信します。
「問題」を自覚して、「反省」することは、メリットよりデメリットが大きい、と。
自己否定、自己嫌悪、それは同時に、他者への否定と嫌悪も強化することになるからです。
わたしは、「問題」というものを否定してるわけじゃないんです。
そうじゃなくて、捉え方を「問題」について「反省」することから
↓ ↓
「原因」について「分析」する、もっと言えば、「ヒント」を得て「考える」
「機会」を得て「学ぶ」…というふうにしては?と思うんです。
人間は、完璧じゃない。試行錯誤を繰り返します。
起きた過去は変えられません。
辛いこと、悲しいことは、また起きないようにしたいです。
でもね、「反省」しなくてもいいのでは?…って思うんです。
ただ、受け止めて、学べばいいのでは?
もう「善し悪し」や「◯✖️」から離れてもいいんじゃないかな〜
…と、わたしは思うのです。
それを散々やってきた末に、いまのわたしはそう感じているんです。
「失敗」とか「問題」とか「批判」とかそういう「✖️」って、どんどんその連鎖を止められなくなっていくから。
感情から行動へ、自分から他人へ…どんどん連鎖して行って、全体のエネルギー値が下がる。
それ、メリットより、明らかにデメリットが大きくないですか?
だからね、逆に言えば、「◯」も危険なんです。
たとえば、テストでいい点とった、ほめられた
→またとれないといけない
→点数の低いあの子はバカだ
…ほら、これもまたいろんな連鎖を生む。
じゃあ、どうしたら?
わたしは、手は一つしかないと思う。
「◯」からも「✖️」からも自由になること。
よりフラットにものごとを捉えられるようになること。
そして、ただそのまま受け止めて、幸せに生き続けること。
そして、それがyoga でしょ?わたしはこう思ってるんです。
だから、yogaをしてる。
てことは、要はいつだってしてることになるからすべて「仕事=私事」になる。
てことは、「努力しない」こともその一部でして(笑)
「反省」しないこともその一部でして(笑)
「反省」するのは、いわば簡単なんですよ。
だって、散々やったから、よく知ってるもん(笑)
実際、ときどき「反省」しちゃいますから(笑)
でも、「反省」したことを「反省」はしません。
理由は、お分かりでしょう?
大切なのは、「連鎖」を切ることです。
それはどのタイミングでもできる。
いま、できるんです。
というか、いつも、いましかできないんです。
同時に、いつでも、いま、連鎖に戻れる。
だから、わたしは「反省」しません。
わたしの人生にはもう「反省」は要りません。
言い換えれば、「過去」は要りません。
わたしは、「反省」のかわりに享受と気づきと学びをもって、
「過去」ではなく「いま」を、希望と至福とともに生きていきます。
そんな「反省」しない生き方、あります。
Hari om