「先生を辞めてくれてよかった」

昨年(2014年)の3月,

私は11年間やってきた教員の仕事を辞めました。
 
でも,それは仕事が嫌だったからとかではありません。

私はnegativeな理由では先に進めません。

理由は極めてシンプルなものです。

学校で教員を続けるよりももっとおもしろそうな道,幸せが広がりそうな道…

そして何より,

その役割を果たしなさいということなんだろうなーと感じてしまう道が見えてしまったから。

それが自ずと拓けてしまったから。

同時に,

それを躊躇無く選べる心の準備がすでにできていました。

 
時折,教員を辞めるというのはすごく勇気があるね,とか,思い切ったね,とか

言われたりするのですが…

私自身にはそういう感覚がほとんどありませんでした。

勇気なんて特に要らないのです。

ただ導かれるままに進んでいるだけ,

ただそっちの方が自分にとっても周りにとっても最終的によりハッピーそう♡

と確信してしまったからそっちに進むだけ

というような感覚だったからです。

 
最近私は,何事につけても,そういう感覚で生きています。

ですから,

特に(自分から望む)夢も希望もありません(笑)

いや本当に。

その代わりに在るのは,

(自然と浮かんでくる)ビジョンと

(根拠の無い)確信,

そして幸せと喜びです。

 
「先生は,「先生」を辞めてくれて良かった」

 
去年の秋に,卒業生に言われた言葉です。

彼女にとっては,私が「先生」を辞めたことで,

私がそれまでホームルームで話して来たいろいろなことが,

なんと言うか、「先生ぶった」話ではなく,

本気でそう考え,それを実際に生きているのだという証明になったらしいのです。

例えば,私たちにはいつでもたくさんの選択肢があること,

人と比べてどうかとか正しいか間違っているかとかではなく自分の基準と責任において判断すること,

今日もこうやって元気に生きているだけですでにとてもハッピーなこと,

私たちには一人一人素晴しいものが備わっていて可能性に溢れていること…

などなど,

まあいろいろとyogaっぽいことばかりくっちゃべってきましたので、

若者にとっては,あいつまたあんなこと言ってるよ…と捉えられて当たり前の話ばかりでしょう(笑)

(そして,それで全然いいのです!)

 
私はいまや「目標をもってがんばる」生き方をしていません。

できません(汗)

でも,だからこそ,それ以上のことができる,

もっとおもしろくてハッピーな道を進むことができる,と考えています。

まあ,これも無根拠ですけど(笑)

でも,たぶんその直感ほど正確なものはないのではないかと私は思うわけです。

だから,そのコンパスに従って

さらりと笑顔で教員を辞めたのです。