視野を広げる道具(nida’s newsletter-no.23-より)

*こちらの記事は 2017.06.23配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.23-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。


先々週,わたしは
わたしの先生方もいらっしゃるヨガの大きな国際イベントに参加するため,
5日間香港に滞在していました。

学び続けている先生や,新たにお会いする先生に加え,
久しぶりに会うティーチャートレーニングの仲間との再会も
本当に嬉しかった^ ^


ご存知の通り,わたしはここ数年,
自分のpracticeへは,このようにほとんど海外に出ています。


その大きな理由の一つは,
今回初めてお会いした,とってもすてきな先生のクラスで,
彼女が冒頭に話してくれたことと一致します。


「ヨガは,視野を広げる道具です。」


まさに視野を広げるために

わたしも,海外へと出かけています。

今回の香港も,そのためのいい契機になりました。

ちなみに,その先生は,続けてこうもおっしゃいました。


「ヨガは関係性についてのpracticeです」

…と。


どういうことでしょうか?


大雑把な話ですが…

ヨガに出会うと,
大きく分けて2つの方向性のどちらかに進む人が多い気がします。


1つはヨガによって性格が,人生が,どんどんオープンになっていく方向。

仲間が増え、人生はますます楽しくなり,文字通り視野が広がっていくタイプの人たちです。

度合いの違いはあるにせよ,多くの人はこちらに進む気がします。


一方,逆に,ヨガによってより偏った方向へと歩む人も。

「ヨガをしているからには,こうでなければ!」

が,増えていくタイプです。


例えば,
このポーズができなければ,とか
ベジタリアンにならなければ,とか
スタジオで「一人静かに瞑想したいから話しかけないで」オーラを強く発していたり,とか。


もちろんどちらが良いとか悪いとかいう話ではありませんよ。

流派や価値観,度合いの違いもいろいろですしね。


ただ,あくまでもわたし自身は,

「ヨガは視野を広げるための道具」ということばに,

心から同意します。


もしヨガが,わたしにとって視野を狭めてしまうものになるのなら,わたしは辞めます。

わたし自身は,マットの上でも外でも

ヨガは,あくまでもまさに,「視野を広げる道具」だと思っているからです。


例えば,マットの上では,同じポーズでも,いろんなアプローチが可能ですよね。

このポーズの唯一正しい取り方はこれ!

というのではなく,

いろいろなアプローチによって,

こうするとこんな感覚がするんだ~,とか

ここを意識するとこんな変化があるんだ~,とか

いろんな気づきがあったらいいと思うんです。


もちろん,その気づきは日常にも広がります。

日常での体の使い方も変わるでしょうから。


ね,ほら,視野が開けたら,

「わたしと体との関係性」が変わりますよね。


マットの外でも同じです。

例えば,いつもイラっとしてしまう相手がいるとします。

視野が固定されているときは,とにかくイライラします。

ひたすらイライラに巻き込まれているんです。


ところが,

「あの人がいつもこう言う背景には,何があるのかなぁ?」

…などと考えた瞬間に,固定されていた視野が開け始めます。


「いつもあの人がこう言うのを,わたしはこう捉えていたけど,
本当は違う意味なんじゃないかな?」

「人生の中で今,これほどイライラする相手が与えられるって,
ここから何を学べということなんだろう?」

…こう考えた瞬間に,またどんどん視野が開けます。


そうやって視野が広がって行くと,最終的には気づくんです。


「ああ,イライラするという反応を選んでいたのは,わたし自身だったんだ」

ということに。


相手がわたしをイライラさせてるんじゃなくて。

わたし自身が,無数の選択肢の中から,

相手に対してイライラするということを「選んでいる」んです。


こうすると,「私と感情との関係性」が変わるわけです。


もちろん,その結果として,「わたしと相手との関係」も変わるかもしれません。


このように視野が広がると,

わたしと体との関係も,他者との関係も,
自分を取り巻く環境や仕事との関係も,
あるいは自分の人生において過去に起きた出来事との関係も

すべて変わる可能性があるのです。


その意味でも,

ヨガまさに「視野を広げるための道具」であり,

そして,それは同時に

「関係性についてのpractice」だと思うのです。


わたしたちは,いつだって

今この瞬間に,無数の選択肢を持っています。


その中から何かを選んで,自分の現実、自分の経験を作り出しているんです。


視野を広げれば,別の選択肢も見えてきます。

あらゆる関係性が変わり始めます。


ヨガはそのパワフルなツール(道具)だと,わたしも心から感じています。


…(あとがきより)

「悟り」へ

最後に,福岡での学びにかかわるお話を少しだけ。

いきなりですが,ヨガをする目的ってね,
みなさんそれぞれ違うと思うし,それでいいと思うんです。

健康,運動不足解消,心を穏やかにする…など,何でも。


ただ,あくまでも歴史的な事実として,ヨガの目的は「悟り」「自由」。


この「悟り」「自由」の意味するところについて踏み込むのはここでは控えますが…

(“All for Meditation 1” というわたしのWSでは
より詳しくお話ししています。またいずれやりますね!)


今の日本において,それを一番の目的と自覚してヨガをしている人って,
実はほとんどいないんじゃないかなーって思います。


わたし自身も,もちろんそうでした。

わたしの場合は極めてシンプルに,とにかく「楽しいから」やって来ました(笑)


今もそれは変わりません。

楽しくなくなったら,ワクワクしなくなったら,すぐにやめると思います(笑)


でも,今は前とちょっと違います。

わたしは今,はっきりと「悟り」という行き先を見据えています。


「悟り」とかいう言葉を使うと,何やら引かれそうですが(笑),

まあ,よろしければ最後まで読んでみてください。

それは,わたしのワクワクとは今も何もズレはありませんし。


ご存知の通り,そこへ至る方法は
あらゆる哲学,宗教,武道などの中で様々に追究されて来ました。


ヨガもそのひとつです。


だから,同じように真実を追究する道には,たくさんのヒントがあるはず。


ヨガにはない視点,概念,方法…


同じ方向を見据えているものからはどんどん学んだらいい,

いわば「雑食」で大いにいいじゃない!(笑)

と思うのです。


その意味では,実は,わたしの中で,
先月末に大阪から谷田学先生をお呼びしたこともその一環。


そして,今回,福岡に学びに行ったのも,まさにこの「雑食」のためでした。



「ヨガは,視野を広げるための道具」だと,わたしは本気で思っています。

これだけが「正しい道」と思ったら,視野はむしろ狭くなるでしょ。


「雑食」で,わたしのヨガというツールの使い方は,これからも確実に変わっていきます。


ヨガの持つすばらしさを,
それを伝えてくださった先生方に心から感謝しながら大いに活用し,

同時に,わたしの感性で,「使える!」と感じた「道具」は
ますます色々に組み合わせていきます。


わたしは,フツーの人間です。
特定の宗教も持っていません。


ただ,

フツーの人間にすでに限りない可能性が溢れている,

「悟り」は俗世を離れた手の届かないものではない,

と,今は本気で思っているのです。


だって,ヨガも言っている通り,

それは,どこか遠いところにあるものではなく,

本当は最も近い,

いえ,近いも何も,

わたしたちから寸分のズレもないところ,
わたしたち自身にあるもののはずなのですから^ ^

Om.

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こちらの記事は毎週金曜配信のnida’s newsletter ~ living in the moment ~より一部抜粋です。
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