ハラの声を聴く(nida’s newsletter- no.28-より)
*こちらの記事は 2017.07.28配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.28-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。
2週間前に,「あたり前を問う」というお話をしました。
私たちは普段たくさん考えごとをしているけれど,
そのほとんどは,「当たり前」の枠組みの中で考えているだけであって,
私たちが無意識に「当たり前」としていること自体については,
ほとんど問わずに過ごしているのでは?と。
例えば,
私たちの世界はどのように成り立っているのか?とか
幸せってなんだろう?とか
私は何のために生きているんだろう?とか
…そういった,より本質的なことについて,
普段の思考の「前提」になっていることについては,
実はあまり問うことをしていないのでは?と。
でも,その「当たり前」の枠自体に対して
ヨガは「本当に?!」とメスを入れてくるように感じています。
そうやって「当たり前」を疑うことってすごく大切なんじゃないか,って。
今回はその続き。
では,わたしたちが普段考えごとをするとき,
わたしたちの意識はどこにあるでしょう?
「う~~ん…」って考えるときって,
たいてい意識はアタマのほうに行っていますよね。
あるいは,
「あー苦しい…これからどうしよう…」というときには,
わたしたちの意識は胸,ハートの付近にあると思います。
そうです,
普段考えごとをするとき,ほとんどの場合,
わたしたちの意識は胸から上のほうにあるわけですよね。
別の言い方をすると,
私たちが普段考えごとをするときに主に使っているのは
アタマとハート,
つまり
思考(マインド)と感情 だと思うんです。
もちろん便宜上の区分ですけどね,
「当たり前」の枠の中で生きて,考えたり感じたりしているときには,
ほぼ思考と感情を使っている気がします。
ですから,「当たり前」を疑うときに,
同じように思考と感情だけを使っても限界があると思うんです。
では,他にどこで考えればいいんでしょうか??
例えば,
感情や思考を超えて,もっと深く覚悟をする場合,
日本では「ハラを据える」とか「ハラが決まる」とか言われますよね。
あるいは,頭ではわかっているんだけど,どうも飲み込めない場合,
「腑に落ちない」とか言いますよね。
これもあくまでも便宜上の区分ですけど,
そういうふうに思考とか感情とか抜きにして
何かが私たちの奥深くで動くとき,
わたしたちは「ハラ」と言う表現を使ったりする。
いわば,意識は,胸よりももっと下,もっと奥深くに
下がっているような気がするのです。
思考や感情でアプローチできない部分に踏み込もうとするのなら,
いつもと同じような思考や感情で考えていてもたどりつかないかもしれません。
ですから,「当たり前」を問うときに特に大切なのは
感情や思考以上に,
いわばもっと深いインスピレーション,
直感のようなものなのではないかと思うんです。
例えば,何かの選択について,
アタマでよくよく考えるとこの選択がいいと思うのに,
よくわからないけどそれじゃない気がする…
理由は何とも言えないけどこっち!!
…ということってありますよね?
あるいは,
すごくイライラして感情的になってしまって出した選択については
後で後悔することがある一方で,
直感で選択した答えに従うと
妙に納得して進めたり,
やっぱりこれだったんだ!という結果につながったりしませんか?
いつも思考や感情で考えているからこそ,
わたしたちはなかなか「当たり前」を崩せないのかもしれません。
ですから,それを超えたところで問う時,
「当たり前」を疑い,それを崩そうとするとき,
大切なのは,より直感的な,いわばハラの声を聴くこと,
自分のハラを信頼することなのではないかと思うんです。
わたし自身も,身をもってそれを体感してきました。
何かわからないけどヨガが楽しいらしい。
別に望んでるわけじゃないけど思いついちゃったから信じて実行する。
ここ数年,わたしは
重要な決断をほとんどそんな感じで決めています(笑)
そして,どんな結果であっても
それについて後悔することが全くありません。
ちなみに,
私はこうやってみなさんにことばを使ってお話ししていますが,
本当に深い真実みたいなものは
ことば,思考を超えたものだと感じています。
便宜上ことばを使うしかないだけ。
ですから,わたしがこうしてシェアしていることも
アタマ,ハート,ハラのどこで受け取っていただけるか。
実は,そこに鍵があると思います。
ハラに落ちてくるのは今じゃないかもしれない。
それでいいと思います。
ハラの声がきつすぎて,
アタマやハートで抑えることもあるかもしれない。
それも多々あると思います。
それでも,いつも自身のハラの声に耳を傾けること。
そこにこそ,今の「当たり前」を超えて,
より自由になっていく道が拓けるのではないでしょうか。