変わらないものを見出すことで変わるものを楽しめる(nida’s newsletter- no.102-より)
*こちらの記事は 2019.01.18配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.102-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。
先日,グルマイ・チッドヴィラーサーナンダのご本を読んでいて,とても面白いエピソードに出会いました。
ギリシャの大哲学者ソクラテスのお話です。
実は,ソクラテスの奥さんは,どうもかなり「小うるさいババア」だったようなのです…(失礼!)
「ある日,友人が彼に言いました。
「ソクラテス,君はこれほど立派で教養もあるのに,どうしてこんな女性と一緒に暮らさなくてはならないんだい。
彼女は君の人生を台無しにしているじゃないか!」
「とんでもない。彼女は私の偉大な先生なのだよ。
彼女がそばにいることで,私は地に足をつけて生きていけるのだから」
「毎日毎日,よく彼女と顔を突き合わせていられるものだね」
と,友人は言いました。
その時,ソクラテスの妻が居間に駆け込んできて,お皿を洗わなかったと言って夫を怒鳴りつけました。
ソクラテスは黙って聞いているだけで,身動き一つしませんでした。
すると彼の妻は,水の入ったバケツを持って来て,彼に水をひっかけ始めました。」
―あなただったら,こんなふうに水をぶっかけられたらどうしますか?!
では,ソクラテスは一体どうしたかというと…
「ソクラテスは友人に向かって言いました。
「全く驚くべきことだ。君には分からないかね。彼女は自然の法則に挑戦している。
雷を落とすと同時に,雨を降らせているのだから。」」
(グルマイ・チッドヴィラーサーナンダ『キンドゥル・マイ・ハート』p.165-6)
いや~,さすがソクラテス!!(笑)
わたしたちは,といえば
何かちょっとしたことが起きるだけですぐに動揺し,感情的になりがちです。
水を引っかけられるどころか,誰かにちょっと何か言われただけで。
ちょっとしたミスをしただけで。
いつもより少し予定が立て込んだだけで。
さらに大きな事態が生じれば,もっと動揺し,感情的になり,そのことで頭がいっぱいになったり,具合が悪くなったり,人間関係に支障が生じたりします。
では,ソクラテスはなぜこんなにも落ち着いていていられたのでしょうか?
そして,なぜこんな奥さんでも(失礼!笑)常に敬い,感謝することができたのでしょうか?
グルマイ・チッドヴィラーサーナンダは続けてこうおっしゃっています。
「こういった行動の中に神聖さを見出せる唯一の理由は,彼が妻の中にも偉大な何かを認めていたからです。
己の神聖さを体験すると,外側の騒動に巻き込まれなくなるのです。」(p.166)
わたしたちを取り巻くすべてのものは常に変化していきます。
わたしたちの体も思考も感情も常に変化していきます。
自身の内側に,そして,周りのあらゆるものの中に変わらない神聖なものを見出せないと,わたしたちは,変わっていくものに翻弄され続け,疲弊するばかりです。
そうでない人生を歩みたいのなら,
わたしたちは,自らの内にすでに決して変わることのない神聖なものがあらわれていることを認める必要があります。
そうでなければ,わたしたちはそれを外側のものや人の内にも見出すことはできないのですから。
ヨガはまさにそのための道。
頭で理解するだけでなく,自らにあらわれている決して変わることのない神聖なものを体感するための道です。
変わることのないものを見出すことができれば,わたしたちは変わっていくものを大いに楽しむことができます。
ソクラテスのように生きる道は,今この瞬間もわたしたちに開かれています!
今日もこうやってみなさんとヨガの道をご一緒に歩めることに,心から感謝します。
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こちらの記事は毎週金曜配信のnida’s newsletter ~ living in the moment ~より一部抜粋です。
記事全文はnidaのnewsletterのみで掲載されています。
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