「立ち止まる」こと

先日,3泊4日で槍ヶ岳・双六岳にお会いしに行ってきたのですが,

とにかくいっぱい歩いてクタクタになり,さらに,いろんな方と楽しくお話ししていたら,

一人になる時間も星を見上げる余裕もなく毎晩倒れて,あっという間に4日間が終わってたんですよね~

そうでないと時間内にお槍まで辿り着けないわけですからやるしかないし,

それはそれでとってもすてきな経験だったのでもちろん何の後悔もなく,感謝しかないのですが…

その後,今度はあくせく登らず,ゆっくり立ち止まって瞑想したり,ぼーっとしたり,考えたり,

さらにできれば星空も少し眺めたいなあと思ったんですよ。

本来なら月曜から出かけたかったのですが,火・水のお天気が微妙だったので,回復を待っていたら猶予は残り3日間に…

日数が減った分,はじめはまたあくせくする登山を計画してしまったのですが(笑),

思った通りに山小屋の予約が取れなかったため,あ~そうですよね~と(笑)

それならいっそ1泊で登れる山に,あえて2泊で行く贅沢なゆる登山をやってみようと思い立ち,

急遽昨日未明に飛び出し,昨夜から山小屋2泊目です。


というのも,先週末の3連休,2年ぶりにnidaで3日間リトリートを開催したんですね。

そして,今週の水曜にはセッションパッケージ最終回の方のセッションがありました。

そこでのみなさんとのかかわりを通して,

「 立ち止まる 」ことがいかに重要か

を,改めて強く感じたんです。


リトリートの参加者の一部もセッションのクライアントさんも,とにかくお仕事が忙しい方で。

その渦中ではなかなか「立ち止まれ」ない。

そりゃあそうですよねえ…  わ~か~る~~ (T-T)

わたしもかつての教員時代を振り返れば同じような経験していましたから。

それが,ヨガを始めてから,それもヨガ哲学を学び始めてから,教員時代の渦中でもだんだんと変わって行ったんです。

ヨガ哲学を寝食・仕事・人間関係…自分の日常のあらゆる面に応用し始めたからです。

(その延長で転職するまでになってしまいました(笑))


それは,いわば「立ち止まる」すべが身について行った,というようなことなのかなと。

その後今に至るまで,それが深まり続けている感じです。

そして,これからも。

何かを変えようとしなくても,何かを決めようとしなくても,

「立ち止まる」ことができたなら,

自ずと変わって行くし,自ずと決まります。

クラスやワークショップはもちろん,リトリートやセッションというのは,まさにそのお手伝いなのではないかと思うのです。

とはいえ,そうした「行為」は,「立ち止まりやすく」なる場をお手伝いするということであって,

実際にどれほどそうできるかは,それぞれの姿勢・在り方次第です。

ですから,同じクラスに参加されていても,「立ち止まり」具合は人それぞれです。


山登りだって同じですよ。

山に登る=「立ち止まり」にはなりません。

もちろん,日常生活よりはそうしやすいでしょうけれど,

日常と同じモード,日常の在り方の延長なら,大したことは起こらないでしょう。

ですから,今回はわたしもその度合いを上げるためにスピードダウンする山登りにして,

明確に「立ち止まる」意図をもって臨んでいます。

だから,今日も薬師岳からさらに往復2時間歩くことではなく,

あえて快晴の山頂に留まり,瞑想することを選びました。

昨日も歩きながら新たなアイディアが湧いてきました。

先々週の登山とは,実際の行為だけでなく,内的な体験がだいぶ違います。

何かを一生懸命やるのも,変えようとするのも,決めようとするのも,もちろんそれはそれですてきなことだと思います ^ ^


一方で,あなたは「立ち止まって」いますか?

何かが見えなかったり,決めきれないことがあったり,疲れがとれなかったり…

そんな時は,足掻くのもありですが(あるいは足掻いた後でも)

「立ち止まる」方が効果的かも…


あなたは最近,いつ「立ち止まり」ましたか?

どこかで薄々気付いていながら,先延ばしにしていることをわかっていながら,そのままにしていることも

「立ち止まっ」たら,違ってくるかもしれませんよ?