2025八ヶ岳リトリート感想②「寧ろ参加しない理由がないです笑」
3)このリトリートの中,あるいはその後も含め,何か変化がありました/ますか?また,それはどのような変化でした/ですか?
「スパンダを感じながら過ごせています。
やっぱり時々、また日常の癖に飲み込まれてしまいそうになっていますが、自分で気づき、その癖を選ばないようにしています。
今までより、より繊細に自分のスパンダを感じ、繋がれているような気がしています。
目が閉じていたことに気付く、気付いて開く、大きな変化ではないかと思っています。」
「自分に閉じこもる傾向があったのですがダンスや音楽、波動の視覚化を通して周りと溶け合ったらwholenessになれたいうかどんな物事も人も愛の表現でしかないんだなと体感できたこと。
すべてが他人ごとではなくなったように感じます。
エゴと距離を取れたこと。
参加しなかった世界線を考えると恐ろしいです。」
「身体に筋が通った感じ、引き締まって天から引っ張られる感じがして、すごく軽くなり、自分で動かしているというか、コントロールしている感を感じられるようになりました。
身体の中の奥行きを感じられるようになり、身体が秘めているパワーを感じることができました。
プラクティスやyukariさんのお話を通して、自分の中であるけれども見えていなかった、幾重にも重なっている部分に目を向けられるようになったのだと思います。
自分の表現を全く恥じることなく、そのまま出すことができ、とても清々しい気持ちになりました。」
「穏やかな波に乗って自分らしく過ごしています。
有り難く受け取って優しく愛を与える」
「リトリート中からその後の変化としては、朝の目覚めに感謝し生きていられる。
私もスポイトの一滴である生き方を家でも職場でも心がけている。
しかし〜の真意がどこにあるのか探る時間はまどろっこしい、、、
ちょっとした時間に指先足先を意識してダンスをしている。(こどもと過ごす遊びの中で)」
「思っている感情を堂々と出せるようになってきた(ポジティブもネガティブも)
一見ネガティブと感じられる感情でも、単にエネルギーとして扱うことで、抑え込まなくなってきたように思う。(不平不満を言うのではなく、客観的にどう感じるかを見ている感じ。)
シャクティへの信頼と敬意がさらに増しました。
リトリートでのブレスワークの中で、私を超えた存在が引き出されたような体験がありました。
そのときは何と言っていいかわからなかったのですが・・・後々振り返ると、あれはシャクティの交流だったのかな、という思いに至りました。
生きているだけでも、私のなかにそれはあるし、他のみんなにも、動物にも植物にも、いたるところにシャクティがある。
そのシャクティが「私」という個を通して現れるとき、そのあらわれ方が様々でありユニークでもある、という事実に、敬意と畏怖を感じます。」
「エクスタティックダンスの中で出てきた「火の鳥」のイメージをリトリートのお土産的に持ち帰り、かなり久しぶりに手塚治虫さんの『火の鳥』を再読しました。(心の赴くままに『鳳凰編』『異形編』『太陽編』『未来編』の順に一気読みしました笑)
リトリートの「音の曼荼羅」のイメージと、『火の鳥』の「生命の曼荼羅」的なイメージが混じり合い、リトリート後の感覚が一層瑞々しく感じられるような気がしてよかったです。
言葉も、エクスタティックダンスのように『気体(ようなもの)』と『液体(のようなもの)』の間を行き来するダイナミックなダンスのひとつ」という体感が、リトリート後に味わっている一番大きな体感的変化なのかもしれません。
リトリート後、エクスタティックダンスやブレスワークの体感を観察する過程で用いた「言葉」は、体験を「固定化」して自由な動きを奪ったり閉じ込めるものではなく、「ダンスの延長的なもの」だと感じ始めました。
このプロセスにおける言語化は、「固体化」(固定化)するというよりは、気体のように漂っているものを「液体化」する印象に近いのですが、私たちが日常的に使っている言語は概ね「固体」っぽい。
論理を積み上げたり、分析的に思考するときは、言葉を固定化して「固体」っぽくしないとかなり扱いにくいので、自然にそのように扱うことが習慣化しているのでしょうね。
エクスタティックダンスの振り返りを通してそんなことを思います。
Keigoさんの音に導かれるエクスタティックダンスは、自身が「音に溶けこむ」ような解放感の味わいとともに、感覚や感情の「気体化」と「液体化」の間を行ったりするような体験でもあり、気体→液体→固体→液体→気体‥のように循環するエネルギーの「ふるまい」っぽいものを身体を通して体感できる、極めてパワフルなプラクティスだなぁと感じました。
同じ空間でエクスタテックダンスに参加している仲間との、他のワークでは得難い距離感も、音楽の力を借りて、固体から液体へ、液体から気体へと「自分のエネルギー的ふるまい」の移り変わりのあらわれそのもののようです。
気体に近いエネルギー感は、軽快で自由で「あたしも混ぜてー!!」(←シェアリングのFさんのチャーミングな言葉をお借りしました)みたいな「エネルギーの質」に文字通り引き寄せられる感覚もあれば、少し辛そうだなとか、戸惑っているのかなと感じる相手に自然に声をかけるような感覚で近くに行きたくなるという「磁力」に近い感覚もあると感じます。
ひとつの空間に身を置き、時間を共有している感覚を大切に味わいつつ、かと言って「固体化」的な感覚を伴う「一体化」方向(がっしりと相手を掴むような感覚)には向かわず、「引き合う力」と「斥け合う力」の間に程よいスペースをもって漂い、「流れのままに」あり続けるスタンスは、まさにダンスで、yoga of livingそのものだなぁと感じています。」
「自分の奥にある穏やかに脈動する部分をイメージするようになったこと。
リトリート後、仕事の忙しさがありながらも、リトリート中に感じていた穏やかさが余韻となって残っている感じです。」
「パタンジャリのヨーガ・スートラに
「心の作用を止滅することが、ヨーガである」とあります
文字をそのままに読むと、心に波風なく平穏であることが、安心に繋がるだろうと思っていました
でも、「振動」「脈動」というテーマで過ごした3日目の朝の散歩で蓼科湖や空や湖畔の木々を眺めていて、絶え間なく変化しているから「生きている」のであり、「生きている」と実感することが安心に繋がるのだと感じました
リトリート終了翌日から日常に戻りましたが、リトリート中とのギャップに(「生きていない」こと)少しつらい気持ちで過ごしていましたが、土曜日のクラスに参加して、yukariさんに日常の過ごしかたのヒントをいただいたので、実験しながら過ごしたいと思います」
「リトリート後何となく受容的になった感じ」

4)このリトリートへの参加を決めた理由をお聞かせください。
「蓼科の自然とみんなとの時間が大好きで、毎年楽しみにしています。
今年は新しくサイマティクスのプログラムが加わったり音のお話が聞けるとのことで、とても楽しみに参加を決めました。」
「yukariさんとKeigoさんのプログラムは他では絶対に体験できないから」
「昨年は予定が合わなかったですが、一昨年参加してとても良かったからです。
自然の中で色々感じられること、分子レベルで動きを感じることで、日常生活では体験できない感じ方を味わえると思ったからです。」
「八ヶ岳に行きたかった。流れで」
「皆様に再会できること。深く学べること。リトリート時間って大事。」
「11月の連休、丁度仕事が休みであったこと。
大好きなnidaの皆との旅は安心できるなぁと思い参加しました。」
「11月最初の連休、この時期の八ヶ岳リトリートというだけで基本的は参加決定!
しかも今年もwith Keigo Tanaka!!
ということで、寧ろ参加しない理由がないです笑
予約可能になり次第、すぐに申し込みする心つもりでしたので、8月末の山小屋2泊涸沢カール登山中にゆかり先生から今年のリトリートの概要が決まったよー!とお聞きし、上高地からの帰りの高速バスの中で参加申込をしました。」
「冬の入り口のような、この時期の八ヶ岳が好きです。
このリトリートで使用させていただいている、大きな窓の向こうに林が見えるスタジオが本当にすてきで、大好きです。
毎年の経験がすばらしく、今年も参加したいと思いました。」
「以前より、自然の中での八ヶ岳リトリートに参加したいと思っていましたが、職場に迷惑をかけるからと自分でブレーキをかけていました
でも、今年に入って色々あり、なんとかなるよねと思い、退職したパートさんに出勤をお願いしたら、快く受けてくれたため参加を決めました」
「去年このリトリートに参加して、「私」「自分」を見つめるきっかけになり、「〈わたし〉をめぐる旅」や「家族」のワークショップを経てどう変化したのか、また、この蓼科(私にとっては日常)の自然の中でnidaの皆さんとKeigoさんのサークルの中に浸りたかった。」
