何かを得る時には何かを失う覚悟を〜相反するすものの間を揺れ動くdanceの中で
わたし,yogaの先生になりたいと思ったことないんです(笑)
あ,やる気はめちゃあるんですよ!
本当に!(笑)
ただ「なりたい」じゃなくて,「なるんだろうなあ」だっただけ。
ただ楽しいから,これをやりなさいってことなんだろうな~って。
だって,楽しい時間がなるべく増えたほうが
人生お得じゃないですか(笑)
でも,だから,yogaより楽しいことが見えてきたらすぐそちらに移っていくとも思うんです(笑)
yogaを始めてから,わたしの中で進んだ大きな変化の一つは,
こんなふうにいわば執着が薄くなってきたことです。
それは,モノや人間関係においても同じで。
昔は新しいものが大好きで,
少しでも古くなるといつもすぐ新しいものが欲しくなったんですが…
でも,今は,どうしてもこれが欲しい~~~!!!というのもあまりないし,
逆に,ようやく手に入れたものがすぐに壊れたりしても
「あら~~ここでこういうことになるのねー」と受け止めるだけで。
人間関係でも同じです。
家族でも,友人でも,恋人でも,生徒さんでも。
新しい関係が始まる時には,
その人を失う覚悟も同時にしているのだと思います。
得ること と 失うこと。
わたしたちは,得ることが大好きなのに,
失うことは恐れたり悲しがったりする傾向がありますよね。
でも,お互いに快適ならばその関係は続くだろうし,そうでないのなら自然に離れていくのだろうし,命にはいつか終わりが来るのも自然なこと。
誰かと出会うことと同じように,
失うこともまた流れのままに。
もちろん,そこに一切の感情が
ついてこないわけではありませんけどね。
でも,そう心底納得しているから,
人との関係性にも執着が薄くなりました。
yogaがわたしに示してくれたのは,
こうやって相反するように見えることも
本当は同じものなのだよ,という智慧。
一見相反するように見えるものも,
いずれも等しく大いなるものの作用に過ぎないということ。
得ること と 失うこと
広がること と 縮むこと
進むこと と 戻ること
光 と 闇
過去 と 未来…
あらゆる相反するように見えるものも,
結局はいずれも大いなる本質の異なる側面であり,
この世界の中で起きているすべては,
その間を行き来しているだけのこと。
いわば世界とは,相反するように見えるものの間で繰り返される大いなるもののダンスのようなもの。
双方に揺れ動き,行ったり来たりを繰り返す。
そして,その本質のダンスは当然,大いなるもののあらわれである, わたしたち一人ひとりの命,人生の中にも
表出するわけです。
心臓が収縮したり拡張したり。
息を吸ったり,吐いたり。
何かを得たり,失ったり。
進んだり,戻ったり。
そして,生まれ,死んでいく…
大いなるもののダンスの中でわたしたち自身の人生のダンスを楽しむのです。
一見相反するように見えるものも,結局は同じもの。
だから,どちらもあるのが自然。
どちらも恐れる必要はない。
どちらもやってくるがままでいい。
yogaが分けてくれた,この深遠な智慧のおかげでわたしは,何かを得るときにはそれを失う覚悟も同時に持つ(というよりは,自然に湧くようになった)ということを学び,実践し始めているようです。
おかげで,ますます人生のダンスを自由に踊れるようになり,ますます楽しく生きております。
yogaの深遠な智慧に,
それを伝え続けてくれた/くれる
すばらしい先人たち,導き手たちに,
心からの敬意と感謝を表します。
Hari om
[memo] peak poses
for basic: Natarajasana with one hand
for advanced: Natarajasana with strap