egoのない純粋さへ
わたしの小さなホームスタジオ nidaでは
9月16日,24日の2回にわたり,
インド古典音楽を継承する若きサロード奏者,
ディプトニル・バッタチャルジーによる演奏会を開催させていただきました。
彼の演奏は,とにかくすばらしかった!
その空間にいるすべての人もモノも,まるごと浄化されて行くようでした。
彼のサロードの音色は, 本当に優しくあたたかく,すべてを包み込んで, 調和をもたらしていくようでした。
いったい何がこれほど魂に響いて来るんだろう?と思っていたのですが…
24日にタブラを伴奏してくださった指原一登さんがある日facebookに書いていた一言に,ああこれだ!と思いました。
「彼の演奏は,音楽の美しさをひたすら追究していて,自我やエゴとは無縁のところにあるようです」
ディプトニルは若干26歳ですが,5歳の頃から弟子入りし,以来ひたすらサロードの練習を続けています。
エラそうなところがなく,謙虚で,師匠を心底敬愛し,インド古典音楽の伝統を大切にしていて,日本に来ても観光より音楽が大事。
そんな青年です。
とてつもない練習を重ねて身につけた技術が,すばらしいのはもちろんなのですが,彼の演奏には,おこがましさがない。
「オレの音楽!!」みたいなのが全然ない。
だから,すごく心地がいいんです。
彼の純粋さがにじみ出た音の中でだれもが安心してその中に溶け込める。
そんな感じなんです。
このひとはすごい。
心底そう思いました。
そして,egoのない純粋さが放つ美しさ,
その力強さにこそ,人は心を掴まれる。
こういうegoのない純粋さこそが,
宇宙に最も愛される在り方なのではないか。
ー改めてそう思いました。
純粋さって,光だと思うんです。
自分が!自分が!というegoで濁らない,
シンプルな光。
それって,凄まじく強い。
そして,小さなegoが満たされるのとは比較にならないほどの, とてつもない至福と喜びをもたらすものなんじゃないか, と思うんです。
孤独も不安も近寄れない シンプルで強い光。それが,egoのない純粋さ。
それこそが,宇宙から最も祝福されるもの。人々から最も敬愛されるもの。
わたしの全身に,魂に染み込んだディプトニルの音は,わたしにそのことを改めて教えてくれている気がしたのです。
egoのない純粋さへ向かう。
自分にやって来るすべての試練を,すべての経験をただ受け止めて,大きな流れのままにそこへと進んで行く。
純粋さの光で,自らも,そして周りのすべてをも包み込んでいけるように。
わたしがどこへ向かうべきか,ディプトニルの優しい音色が道を指し示してくれたような気がします。
この機会をくれたすべての巡り合わせに心から感謝します。
Hari om
[memo] peak poses
for basic: L-shaped handstand
for advanced: Vasisthasana