“I’m proud of you!”
(写真:December, 2015.
@yoga barn, Ubud, Bali.)
ことばは,自らに制限をかけることもありますが,一方で,自らの可能性を拓くこともあります。
では,あなたにとって,
自分の可能性を拓いてくれたことばとは?
何か思い当たるものはありますか?
私が思い出すのは,
“I’m proud of you.”
「あなたのことを誇りに思う」
ということばです。
今から4年前,2012年の夏。
わたしは,いまのわたしの大切な師匠であるEmilyに出会いました。
彼女が主催するインドネシア・バリ島での1週間のリトリート(リセット合宿のようなもの)に参加したのがきっかけです。
当時教員だったわたしは,1学期の終業式の夜中に発つ便に乗って初めてバリへ!
…のはずが,学期末の凄まじい多忙による寝不足がたたり,飛行機に乗り遅れてしまったんですよね~…
行くのをあきらめようかとも思ったけど…
何とか翌日の便をうまくキャッチして,一日遅れで夜中に現地入り。
翌朝,初めて会うEmilyも仲間もわたしをあたたかく迎え入れてくれました。
同じヴィラで1週間一緒にyogaを練習し,
おしゃべりをし,おいしいベジごはんを食べ,散策に出かけ,誕生日を祝い,
時には
「人生の中で隠したいこと3つをシェアしましょう」といったワークも…。
わたしは当時,いまより英語もポーズも不十分で,初めて英語で受けるyogaクラスにも時折戸惑っていました。
それに,参加した20名弱は,それぞれ国籍も違うし,お互いの仕事もそれまでの道のりも全く知らない同士。
…にもかかわらず,リトリートの終わりも近づく頃には,
「わたしは,この人たちに認められている。この人たちに受け入れられている。」
という確固たる感覚がありました。
このようなあたたかい繋がりを生み出す場を見事に創り出していた中心は,紛れもなくEmilyだったのだと思います。
リトリートの最後に,彼女は,みんなの前で,参加者一人一人に言葉をかけてくれました。
彼女は,わたしに,
Yukariはとても勇気がある,と。
そして,言ってくれたのです。
“I’m proud of you.”と。
尊敬する先生がかけてくれた自分を認めてくれることばは,本当に本当に嬉しくて…大泣きしましたね~。
「あなたのことを誇りに思う」って,英語では日常的な表現です。
別に特別なことばじゃない。
でも,日本語で,日常的に誰かに言われます?
誰かに言います?
当時のわたしの日常的な語彙にはこれはなかったんですよね。
でも,とっても嬉しくて,すてきなことばだから,以来,わたしも積極的に使うようになりました。
当時は教員でしたから,ホームルームで,生徒に伝え始めました。
面談でも,伝えました。
今でもEmilyや仲間に,
もちろんもと生徒たちにも言っています。
でも,誰かを「誇りに思う」のは,その人が誰かと比べて優れているからとか,お金持ちだからとか,そういう理由ではありません。
わたしたちは,もしかしたら無意識に
「誇りに思う」ために何か他と比較した上で秀でた才能や財産が必要だと思うようになっているのかもしれない,という気もします。
特に日本語を用いる人の間では。
でも,Emilyがわたしにそう言ってくれたのは,わたしが周りと比べて秀でているからとか,そういうことではないんです,たぶん。
ただそのまま在るわたしを認めて,
そのわたしを「誇りに思う」と言ってくれたのだと思うのです。
yogaでは,
わたしたちは一人一人最初からとてつもなくすばらしいものを,とっても特別なものを,
内側に持って生まれてくる,と考えています。
ただそれだけで,わたしたちは十分に周りの人を,自分自身を,誇ることができる。
そしてまた,わたしたちの本質,わたしたちの誇りの源は,すべて繋がっているんですよ,とyogaは私たちに言います。
だから,他の誰かを誇ることは自分を誇ることにもなるし,自分を誇ることは他の誰かを誇ることにもなる。
周りと比べる必要はなく,
わたしたちは一人一人すばらしい存在。
ただそれを自身に,他者に認めて,
誇りに思って生きて行けばいいのではないかと,わたしは思うのです。
わたしとともにさまざまな場で
yogaのpracticeに臨んでくださっているみなさん一人一人を心から誇りに思います。
そんなふうにみなさんとご一緒できているいまのわたし自身を誇りに思います。
そして,わたしにその可能性を拓いてくれた
Emilyはじめわたしの自慢の先生方を心から誇りに思います。
ॐ
[memo] peak pose
for basic: Virabhadrasana 1 (variations)
for advanced: Ardha Chandrasana Chapasana