Mayiya malaを超えて行く生き方のヒント(nida’s newsletter- no.18-より)
*こちらの記事は 2017.05.19配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.18-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。
何のためにyogaをするんでしょう?
あなたの答えは?
わたしの中での答えはより明確になってきています。
その上でも,「malaを超えていく」という考え方は,本当に役に立つ観方だなあと思うのです。
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前回,3回にわたって紹介してきた「3つのmala」の最後の一つ,Mayiya malaについてお話ししました。
Mayiya malaというのは,一言で言うと,
全てのものや人から自分が離れている,
わたしとその他の物や人とは別物である,
とわたしたちに感じさせる「塵」です。
つまり,本当はすべてのものの間に境界線はないのに,その「塵」のせいで,
本来はすべてのものと自分は繋がっている,一つである,という真実が霞んでしまっているんですよ,ということです。
そうは言われても,なかなかこの境界線の感覚を取り除くのは難しい。
なぜか?
前回も申し上げたように,何と言っても,「身体」があるから,だと思うんです。
でも,その「身体」さえ,このいのちさえ,
植物が作ってくれる酸素や,摂取したさまざまな植物や動物が内側で、文字通り「わたし」の一部になることによって維持されているのですよね。
そう,分離している,なんて言えないわけです。
…とは言われてもねー,
やっぱり難しいですよねえ~(笑)
苦手なあの人とか,この手に持っているスマートフォンとかが「わたし」と境界線のない「一つ」だなんてねえ~…(笑)
じゃあね,落ち着いて座って,目を閉じてみてください。
境界線が見えますか?
(以後,このような文字ベースでの誘導は難しいのですが,やってみますね…)
さらに,聞こえない,話せないと想像してみてください。
あなたの中から,「ことば」がなくなりますね…
さらに,匂いもわからないと想像してください。
そして,味も感じられなかったとしたら…?
これで,残るは五感のうち,触覚だけです。
まだ,「触る」ことで,自分の体や,周りのものを感じられますよね。
では,さらに触覚も手離したら…?
確かに今ここに存在していても,五感がなかったら,境界線は感じられないんじゃないんでしょうか?
つまり,境界線を生み出しているのは,わたしたちの感覚,さらに言えば 脳 ってことなんですよね。
でもね,こうやって五感なく生きているものたちが,この地上にはたくさんいますよね?
たとえば,植物です。
もし自分が植物だったら?
もし自分が森の中の一本の樹だったら?
想像してみてください。
目も,耳も,口も,鼻もありません。もちろん脳も。
「ここまでがわたし」という境界線の認識なんて、 果たしてあるんでしょうか?
その人生,いえ,「木生」は,どのようなものなのでしょうか?
もっと大いなる調和の中に在るのでは?
わたしたち人間よりもずっと,分離感や,孤独・不安を超えた「一つ」の一部として生きているのでは?
「もし植物だったら…」と想像すると,そんな気がしてくるのです。
そして,逆に,malaという非常に強力な「塵」は,わたしたちの脳が生み出しているものなんだ,ということに改めて気づくのです。
Mayiya malaを超えて, すべてのものとのつながりへ…
想像力を広げると,そのためのヒントが見えてくる気がしませんか?
「わたし」以外のもの/人が存在するのは,きっとそのため。
共に学びあって,共に「一つ」に還っていくため。
Back to the Source-「源」へ還る旅。
諦めなければその道は必ず拓ける。
わたしはそう確信しています。
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こちらの記事は毎週金曜配信のnida’s newsletter ~ living in the moment ~より一部抜粋です。
記事全文はnidaのnewsletterのみで掲載されています。
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