“Open to Grace”

わたしはこの5年ほどずっとAnusara yogaという流派を主に学び続けています。

Anusara yogaでは独自の身体とこころの使い方の原則を掲げています。

その最初の原則が、
 
”Open to Grace”

これは最も重要で、他のすべてに先立つ紛れもない「第一原則」です。

“Grace”―優美なるもの、荘厳なるもの、大いなるもの…
 
 
みなさんはそう聞いて、どんなものを思い浮かべますか?

わたし自身は特定の信仰を持ってはいませんが、もしあったなら、「神さま」と考えるのかも。

でも、そうではないので、わたしなら、
壮大な大自然、たとえば、高い峰々の向こうから昇る真っ赤な朝日…とか,
そんな光景をイメージするかも。

そういうものを思い描くと,
ああ,地球はなんてすばらしい力に満ちているんだろう!とか,

すべてのいのちや自然に大きな力が宿っているのだなあとか,

何だかすごく納得するというか,
感動できると思うんですよね。
 
 
でも,Graceが宿っているのは,
そんなふうに,いわば容易に感動できるような対象だけではないわけです。

そうではなく,すべてのものがGraceの現れだというのです。
 
 
それなのに,わたしたちがGraceをなかなか容易に認められない対象がいくつかある気がしますね~。
 
 
その一つが…「自分自身」
ではないかと,わたしは思うのです。
特に,日本人は。

もちろん,あくまでも一般論ですよ!

でも,かつてわたし自身はまさにその見本のようでしたねえ。

「わたしに…て無理!」

「もっと~あるべきなのに!もっと努力しなきゃ!」

「わたしは…だからダメなんだ!」

…とかね。

「よい」言い方をすれば「謙虚」なのでしょうが,実際のところ,「自己嫌悪」「自己肯定感が低い」といったところですかね。
 
 
もともと学校の先生をしていましたが,
面談などで親御さんに「お嬢さんは~~がすばらしいですね!」とほめると,

「いえいえ,先生,とんでもないです!あの子は本当にもう…で,お恥ずかしい。」

というように答えられる方,結構いらっしゃいましたね。

もちろん,心の内側がすべて素直にことばに表れるわけではありませんけどね。

でも,こちらはほめてるんですから、
「ありがとうございます!そうなんですよ~!」って,自慢してくれたらいいんですよ。
 
 
わたしは,親や先生や,周りの大人を,
あるいは,日本の文化というか,一般的な思考様式というか…そういうものを否定しているわけではありません。

でも,

「謙虚が美徳」

「自分を下げて相手を立てる」

「悪いところ,足りないところを指摘することで伸ばす」

とかって,いつの間にか自分を卑下したり,嫌悪したり,自分を低く見て,可能性を自ら制限することにつながってしまっていること,往々にしてありませんか?

そうやって,知らないうちに自らのGraceを覆ってしまっているということはないでしょうか?
 
 
もしあなたに思い当たることがあるのなら,いまこそ”Open to Grace”に立ち返りませんか?

自然に感動を覚えてしまうような自分の外の大いなるものと同様に,何よりもまず,
わたし自身はGraceの現れであるということに。
 
 
わたしはキリスト教徒ではありませんが,
聖書には,「神は,自身の姿に似せて人間を作られた」ということが書いてありますよね。

それって要は,人間はすばらしい存在ですよ、ということでしょう?
 
 
あなたも,わたしも,
そんなすばらしい存在。

Graceの現れなんですよ!

…yogaはいつもそう教えてくれます。
 
 
自分の内に宿るGraceに対しても,
openでいましょう。

お互いに,外側に対してだけでなく,
自身の内側に対して開いていましょう!

おたがいに,自身の可能性をさらに拓いて,
自分に備わるGraceをもっともっと遠慮なく輝かせる一年にしましょう~!!

[memo] peak poses
for basic: Purvottanasana or Natarajasana(modified)
for advanced: Natarajasana