Who am I?(nida’s newsletter- no.59-より)

*こちらの記事は 2018.03.02配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.59-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。


わたしが小さかった頃って,「ストレス」ってことば,あんまり聞かなかったよな~と思うんですよね。


10代くらいからかなあ…やたらと聞くようになり,

それがまあ,今や病気といえば何かと「ストレス」が原因だったりするわけですよね(笑)


じゃあ,どういうときにわたしたちは強く「ストレス」を感じるんでしょう?


わたしはかつて学校教員をしていたとき,特にその初期,非常に「ストレス」を感じていました。


そういうのってどういうときだったかなあ?って思い起こしてみると…


たいていの場合

「なんでこうやってくれないのかなあ!」という「わたし=いらだち」の塊だったり,

とにかく辛くて毎日泣いて「わたし=悲しみ」の塊だったり,

「あれもやってこれもやって…ああ,あとこれも明後日までにやらないと…」というような「わたし=思考」の塊だったり,

とにかく体が痛くて苦しくて「わたし=痛み」の塊だったり…


そんなふうに,わたしが感情や思考や身体と一体化しているとき,

完全にそれらに巻き込まれているときだったんじゃないかなあと思うのです。


みなさんはどうですか?


でも,これって,ヨガ哲学の知恵を拝借してちょっと立ち止まって考えてみると…


例えばね,「わたしの携帯」ってあるでしょう?

なんで「わたしの携帯」って言えるのか?というと,

前提として「わたし≠携帯電話」じゃないからですよね?

だって,もし「わたし=携帯電話」だったら(笑),

「わたしの携帯」って言えないでしょう?


じゃあ,「わたしの感情」ってどうですか?

「わたしの思考」「わたしの身体」は?


そう言えるということは…

「わたし≠感情」

「わたし≠思考」

「わたし≠身体」

ということになりますよね??


じゃあ,「わたし」って誰よ?ってことになるわけです。


わたしは…「感情」でも「思考」でも「身体」でもない,ですね。


「わたし」は,感情も思考も身体も,

「それらすべてを観渡せる存在」ということになります,よね?


そう。

これを明確に認識していること。


これがどれだけパワフルなことか!


わたしは自分の人生における実体験を通して痛感しています。


わたしは感情でも思考でも身体でもなく

わたしは,「それらすべてを観渡している存在」なんです。


マットの上では身体を動かしながら,

マットの外では日々の生活を生きながら,

それを思い出し続けること。


それだけで「ストレス」は格段に減ります。


世界は変わります。


少なくともわたしにはそうでした。


あなたの生活の中のあらゆる瞬間に,どうぞ試してみてください。

*先月,新しいWSシリーズ「〈わたし〉をめぐる旅」を始めました。

実は,今回のクラステーマは,その第1回目”Who am I?”の導入部分でもあります。

第1回目の参加者のほとんどがそろってすでに2回目以降をご予約くださっているのは,

ヨガが,特にヨガ哲学と瞑想が

わたしたちが生きていく上で本当の意味で何の役立つのか,どのように使えるのか…

非常にクリアで実践的に,かつ

アタマで理解するだけでなく,身体や感覚を通じた体感を通して納得いただける内容になっているためではないかと思います。


“Who am I?”


あなた自身に問うてみてください。


その答えは,生きていく上で極めて根本的かつ決定的なものではありませんか?

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こちらの記事は毎週金曜配信のnida’s newsletter ~ living in the moment ~より一部抜粋です。
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