“yes”のうしろには無限の“no”がある

前回、「ただ全てに“yes”を!」というテーマをお話ししてから、思い出したことがあったんです。

それは、バリ島にいるわたしの師匠Emilyが、あるクラスのテーマとして”yes”と”no”について話してくれたこと。
(写真:師匠Emilyと、大切な仲間と。)
 
 
それは…

あなたが何かに”yes”を言うとき,
その他のすべてに対して同時に”no”を言っている,ということでした。
 
 
たとえば,わたしがバリのスタジオでEmilyのクラスを受けているとき,わたしはそれに対して”yes”なわけです。

そして,同時にその他のすべてに対して”no”を言っていることになります。

日本に居ることに”no”,

食事をすることに”no”,

仕事をしていることに”no”,

家族と一緒に居ることに”no”…

無限の選択肢にすべて”no”を言って,たった一つの選択肢にのみ”yes”と言っているのです。
 
 
わたしは,Emilyの話を聞くまで,こんなふうに考えたことがなくて。
でも,その通りですよね。

わたしたちは,いつだって、こうしてたった一つの”yes”を選択しているんです。

それを毎瞬重ねて生きている。
わたしたちがしていることって,そういういことなんですよね。

これをね,やたらと深刻に捉える必要はないと思います。
 
 
でも、こうも思うんです。
 
 
”yes”はたった一つしか選べないのなら、常にそれに心底納得していたい。
 
 
常にそれに100%でいたい。
 
 
だって、そうでなかったら、
”no”を突きつけたその他の無限の選択肢を覚悟を持って引き受けられない。

その”no”に後ろ髪を引かれてしまう。

”yes”が中途半端だと、その他のすべての”no”に対しても中途半端になってしまうと思うんですよね。
 
 
でもって、それってかなり痛いんですよね…
 
 
たとえば、恋愛とかね。
わたし自身も経験し、学んだことがあります。

大好きな人がいて、
確かに全力で”yes”からスタートしたんです。

でも、だんだん、全力で”yes”なはずなのに、頭では間違いなく”yes”なのに、
何か心ではついて行ってないことが出てきて
100%”yes”でいられなくなったら、やっぱりうまくいかないんですよね…
 
 
人間関係でも、仕事でも、あるいは当たり前にしている毎日のルーティンワークでも、

自分がそれを行っているということはそれに”yes”と言っているということ。
 
 
その”yes”が100%でないのなら、何か必ずひずみが出てくる。

何か生き切れていないような、何か引っかかる違和感が出てくる。

すると、背中の後ろの無限の”no”が自分を揺らがせる。
 
 
そういうものなんじゃないですかね~?
 
 
だから、背中の後ろの無限の”no”をかき分けてたった一つ選んだ目の前の”yes”にいつも全力で臨めるように。
 
 
これは、頭で決めるものじゃないと、わたしは思います。
 
 
心で、というか、魂で選ぶもの。

選ぶ、というか、魂に導かれるもの。

そんな気がします。
 
 

そうやって生きていくために,わたしはyogaをしているのだと思います。
 
 
背中の後ろの無限の”no”も覚悟を持って引き受けて、ただ目の前の”yes”へ。

一瞬一瞬を大切にすすみましょ。

Hari om

 
[memo] peak poses
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for advanced: Eka pada Padma Utkatasana