Yoga practice is an offering ! 〜原点回帰

タイ・チェンマイでの300時間上級ティーチャートレーニング(TT)への出発を間近に控え,2年前に初めて参加した海外でのTTのことを改めて思い出しました。

わたしの敬愛する師匠 Emilyのバリ・ウブドでのTTは,わたしにとっては本当に大きな経験で。
 
 
そのTTで,Emilyだけでなく,その他のすばらしいゲストティーチャーたちも口々にわたしたちに伝えてくれたのが,
 
 
 
Yoga practice is an offering!

(yogaのpracticeはお供えもの/捧げものなんだよ)

…でした。
 
 
「お供えもの」と聞くと,ちょっと変な感じがするかもしません。

yogaは宗教じゃないしね。

エクササイズ的に身体を動かすことを主な目的としてyogaをしている人には,特に変なかんじがするかと思います。

わたし,そんなつもりでyogaやってませんけど…みたいな(笑)

自分自身のためにyogaしてますけど,何か…みたいな(笑)
 
 
誤解のないように先に明確にしておきますが,わたしも,特定の宗教は持っていません。
 
 
でも,ウブドで練習していると
宗教があるとかないとか関係なく,この言葉の意味がすっと浸透してくる感じがするんですよ。
 
 
特にウブドは,バリ島独自のヒンドゥー教がとても根付いていて,毎日あらゆるところにお花や食べ物やお香が供えられいるし,
みんな,月に何度もあるceremonyで忙しい。

神様への感謝が日常生活のあらゆる場面に溢れています。

(いつもお世話になっているバリ人の友人。儀礼のある日は朝からさらに忙しい!)

特定の宗教がなくても,わたしを今ここに在るように生かしてくれているものがとてつもなくたくさんあるのは火を見るより明らかなこと。
 
 
だって,例えば

息ができるのは植物のおかげ。

立っていられるのは大地のおかげ。

食べられるのは水や土や農家さんたちのおかげ。

…て,ほんの一例にすぎないですけれど,それらに感謝するのって,至極自然なことでしょ?

宗教とか関係ないでしょ?

でも同時に,忘れがちでもありません?
 
 
ウブドみたいなところにいると,その感謝の念が自然に新たになる気がするんです。
 
 
自分を生かしてくれているものに対して感謝を示すこと。

自らの行いをもって,応えること。
 
 
それでも,アーサナ(ポーズ)の練習を何かに対して捧げるって変な感じがします?(笑)
 
 
とはいえ,それもyogaのほんの一部に過ぎないと同時に,大切な一部でもあります。
 
 
だったらやっぱりわたしの自慢の先生たちがくり返しくり返し伝えてくれたように
 
 
「お供えもの」なんですよ。
 
 
だって,yogaのpracticeって,生き方そのものだから。
 
 
結局,いかに生きるか,生きて何をするかは,そのまま自分を生かしているものへのお返しになる,ということなんですよね。
 
 
それなら,アーサナのpracticeももちろんその一部ですよね。
 
 
でも,それだけじゃない。

わたしがどのような仕事をするか,
わたしがどのように他の人に対応するか,
すべてが「お供えもの」になる。
 
 
そう考えるのなら,自分に与えられているエネルギー,可能性は最大限生かすべきだと思いませんか?

そうすることが,最高の「お供えもの」になると思いませんか?

少なくとも,わたし自身はそう考えるようになりました。
 
 
だから,わたしのyoga teacherとしての役割は,もちろん,前回も書いたように,楽しくて,好きだからやっているだけなんですけれど(笑),

でも同時に,わたしなりの「お供えもの」でもあるということになるわけで。
 
 
私は別に特別な才能があるわけでもないかもしれませんけど,

自分の直感が指し示すところに従って,
自分に与えられているものを最大限使い尽くして生きていきたいとは思っています。

それが,わたしなりの yoga practice。

わたしなりの Something Greatへの「お供えもの」です。
 
 
 
Hari om

n 300hr advanced Anusara yoga TT
with Jonas Westring,November 4, 2016.

 

[memo] peak poses
for basic: Uttanasana
for advanced: Sirsasana