yukariよりメッセージ「ポストコロナに備えて―この移行期に大切なこと」(nida’s newsletter- no.147-より)
*こちらの記事は 2020.04.17配信の,nida’s newsletter~ living in the moment ~- no.147-より抜粋して引用したものを以下に掲載しています。
すでに何回か引用していますけれど,3/27発行のnewsletter no. 144で,わたしはこう書きました↓
「執着して波に乗り遅れる者は,荒波に飲まれて,この先もっと生きにくくなるでしょう。
執着を手放して軽やかに大波に乗って行く者には,この先もっと恵みがやってくるでしょう。
このうねりは,執着を手放すプラクティスの最高の機会だと思います。
(ちなみに,わたしの感覚に即してより正確に言うと,執着が離れていくプラクティスという感じ。)
「今」このプラクティスをするかどうか,という「選択」がすべてですよ。」
*newsletter no.144と4/6号外の追記をまとめてblogにアップしてあります。
「大きなうねりの中,今,yukariからみなさんにお伝えしたいこと」
全文は→こちらへ
そして,先週発行のno. 146では,こう書きました↓
「しつこいようですけれど,この時期に湧いてくるものをそのままにしないことです。
今は,非常に重要な移行期ですから。」
そして,ある生徒さんからのこのフィードバックも引用しましたね↓
「こういう状況になると、まず思うのは、やっぱり心から大事にしている人だったり、心がこもっているお店だったり、なんですよね。
知らず知らずに、強いつながりができてるんだなって思います。」
これらは実はすべて,わたしが今考えていることのパズルのピースみたいなもので,これから書くこととつなげて言えば,伏線みたいなものでした。
これから述べることは,いつもの通り,あくまでもわたしの主観ですから,正しいかどうかなんて興味ありませんし,みなさんがどう思われるかも知りませんけど,
正直に申し上げますね。
わたしね,今の状況はそんなに大したことないと思っているんですよ,
この後やってくるステージに比べれば,です。
わたしが考えているのは,こういうことです。
わたしは,今は「非常に重要な移行期」だと感じています。
ですが,もっと大きな鍵になって来る重大な時期は,
「ポストコロナ」とでもいうべき,この「非常事態」の「移行期」の「後」だと感じているんです。
というのも,その段階では,本当に「波に乗っていく」か「乗り遅れる」か,それがますますクッキリするだろうな~
と,わたしは予想しているからです。
それも,かなり確信を持って。
だから,申し上げたんです,
「しつこいようですけれど,この時期に湧いてくるものをそのままにしないことです。」
と。
そして,
「この時期,いろんな感情や思考が湧いてきていることと思います。
それを整理したい,これからの道のりについて再考したい,
さらには,気づいた「執着」を手放したい …などというときに,
お手伝いできそうなことがあればどうぞお問い合わせくださいね。」とも。
はい,この「移行期」には,これまで蓄積したものが一気に吹き出してきやすいと思います。
例えば,世間で顕在化している一つの例を挙げると,今,離婚したいという人も結婚したいという人も増えている,というこんな記事も目にしました↓
「コロナ禍で「結婚」「離婚」求める人たちの事情」→こちら
一緒にいる時間が増えたら辛くなってきた…
あるいは逆に,ひとりでいたら寂しくなってきた…
で,こういう事態になるわけですね。
特に興味深かった,この記事の一部を引用しますね↓
「私はラジオ番組「植草美幸の夫婦ってなあに?」でリスナーのみなさんから相談を受けているのですが、その件数がコロナ騒動を契機に急激に増えました。
質問の内容もみなさん似ています。
「私はどういうふうに生きたらいいですか?」
こうした根本的な問題が増えているのです。
年齢層は20~50代まで、ほとんど女性です。
危機的な状況にさらされると、生き方をみつめ直す人も多いようです。」
―この「移行期」に,いわば強力な”ジョイ”で”油汚れ”が浮いてきちゃうの(笑)
つまりね,今まで気付いていなかった,あるいは,もしかしたら見て見ぬふりしてきた,いろいろなことに気づいちゃううんですよ。
あ,わたし,本当はこの人とはもう無理だったんだ…
あ,逆に,この人こそがわたしが「心から大事にしている人」だったんだ…(人間関係)
あ,わたし,本当は通勤がストレスだったんだ… (仕事,ライフスタイル)
あ,わたし,実は外食好きじゃなかったんだ… (食べ物)
あ,わたし,本当は「自分がどう生きたらいいか」全然わからなかったんだ… (人生)
とかね。
本当は自分は何/誰/どこが心地良くて,何/誰/どこがそうでないのか―
本当に自分にとって必要なのは何/誰/どこで,何/誰/どこはそうでないのか―
本当に自分にとって大切なのは何/誰/どこで,何/誰/どこがそうでないのか―
(これがまさに,引用したフィードバックにあったことですよね。)
…だけど,これ,正直言って,こういうふうに立ち止まれれば,気づければね,まだいいと思うんですよ。
実際には,この時期でもまだ気づかない人,見て見ぬふりをする人も多いんじゃないかなあ,と。
だから書いたんです,
「しつこいようですけれど,この時期に湧いてくるものをそのままにしないことです。」って。
別の言い方をすれば,
今,この「移行期」はね,大大大チャンスなんです!!!
自分の中に,ひいては社会の中に,世界の中に,地球の中に
もともとあるのに見えていなかったものを発見しやすくなっている千載一遇のチャンス!!!!
だから,この時期に湧いてくるものをていねいに受け止めて,そのままにしないこと。
これこそが,その後にやって来るより重大なステージでの「選択」に大きく関わって来るでしょう。
そして,その「選択」が,「波に乗っていく」か「乗り遅れる」かを明確に分けていくでしょう。
…と,感じているんです。 わたしは,ね。
じゃあ,そもそも「この時期に湧いてくるものをていねいに受け止めて,そのままにしない」ために,最も必要なことって何だと思いますか?
それは,さっきも書きましたけれど,まさに「気づく」ことじゃないでしょうか。
「見て見ぬふりをしない」ことです。
じゃあね,どうやったら「気づ」けるんでしょうか?
「見て見ぬふりをしない」でいられるでしょうか?
もう聞き飽きておられるかもしれませんが(笑)… あの,「正解」はないですよ。
あくまでも,わたし自身の考えを書きますね。
わたしは,そのために3つ必要なものがあるんじゃないかなーと思っているんです。
まず一つは,「繊細さ」。
自分の中に湧いて来る違和感や,ふとした精妙な体の感覚や心の動きを見逃さない感度の高さです。
nidaに通われている方なら,この意味がお分かりになるはずです。
だって,これを養うために,ここへ通ってpracticeされているのでは?
二つめは,「素直さ」。
繊細に気づいてもね,認めなかったら意味ないんですよ(笑)
「いやいや,そんなはずない」って打ち消したら,すべてパァでしょ?
「そっかー,こういうのが自分の中にあるのね」と「認める」ことができる「素直さ」が大切だと思うんです。
それは場合によっては,「あきらめ」とか「受容」とか言ってもいいかもしれませんね。
あ,それで思い出した。
わたし,教員時代から常に言っていたことがあります。
それは…
「素直な人は伸びる」
今でも全くこの見解は変わりませんね~。
「心底あきらめた人は変化が早い」とも思っています。
『バガヴァッド・ギーター』の中のアルジュナのようにね。
もう一つ,三つめはね,「安心」です。
「不安」だとね,「素直」になれないんですよ。
経験おありでしょう?(笑)
だからといって誤解していただきたくないのは,「不安」があっちゃダメ,って話じゃないってことです。
そうじゃないんです。
「不安」な自分をダメだと思う代わりに,
「あ,わたし,不安なんだ…」って,認められてはいかがでしょうか? という話をしているんです。
え?矛盾している気がしますか?
いいえ。全然。
だってね,このベースになる「安心」ってなんだかわかりますか?
それは,「不安でもいいんだ」ってことですよ。
言い換えると,「安心」に根拠は要らないんです。
あなたがOKを出せば,それでOKなんですよ(笑)
ここ,激しく大事だから,もう一度言いますね。
あなたがOKを出せば,それでOKなんです。
そして,これって別の言い方するとね,散々繰り返してお話しして来た「「執着」を手放す」ってことですよ。
何かに「執着」してるから,「OK」出せないんですから!(笑)
だから,「このうねりは,執着を手放すプラクティスの最高の機会だと思います。
(ちなみに,わたしの感覚に即してより正確に言うと,執着が離れていくプラクティスという感じ。)
「今」このプラクティスをするかどうか,という「選択」がすべてですよ。」
…って話になるわけです。
…はい,すいません。おばちゃん,話が長くなりました(笑)
そうそう,この文章のタイトルね,
「ポストコロナに備えて―この移行期に大切なこと」だったでしょ(笑)
結論。
わたしが思うに,それは,「繊細さ」です。
それによって,「気づく」こと,です。
そして,気づいたことを,そのまま「認める」,「受け取る」こと,です。
(そのためには,「素直さ」と「安心」,あるいは言い方を換えれば「執着を手放す」ことが大事。)
だから… はいはい,おばちゃん,しつこくてホントごめんなさいね~(笑)
「この時期に湧いてくるものをそのままにしないこと」を心の底からお勧めします。
この「移行期」の後にやって来るより重要なステージへの準備として。
心より愛と敬意を込めて
Om Namah Shivaya.
yukari
*追伸*
文中で引用した
「「私はどういうふうに生きたらいいですか?」
こうした根本的な問題が増えているのです。」
という文章。
お気づきですよね,これこそまさにヨガ=「自己探究(アートマ・ヴィチャーラ)」です。
わたしは何者なのか?
どうやって生きたらいいのか?
nidaが,一貫して重点を置いてるのは,まさにこの「根本的な問題」です。
そして,これからますます,この重みは増すことになるのではないかと思っています。
「この時期,いろんな感情や思考が湧いてきていることと思います。
それを整理したい,これからの道のりについて再考したい,
さらには,
気づいた「執着」を手放したい …など」
―つまり,あなたの「自己探究」に際してお手伝いできそうなことがあれば
どうぞ今の時期はオンラインプライベートセッションをご活用くださいね。
*ご予約はメールにて→ nidayoga@gmail.com
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